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ユリア/南斗最後の将



登場:原作(7話〜) TVアニメ版(2話〜)
   ユリア外伝、ユリア伝、他多数
肩書:ケンシロウの婚約者 南斗最後の将
能力:治癒の力 予知の力(ユリア外伝、ユリア伝)
CV:山本百合子(TVアニメ版、他)
   永野愛(激打2)
   石田ゆり子(真救世主伝説シリーズ)
   大浦冬華(真救世主伝説シリーズ・少女時代)
   くぼたあや(ユリア外伝モーションコミックス)
   桑島法子(北斗無双・真北斗無双)
   堀江由衣(DD北斗の拳)
   皆口裕子(イチゴ味)
   儀武ゆう子(イチゴ味・少女時代)
   魏涼子(スマートショック)
   久川綾(北斗が如く)
   佐久間レイ(リバイブ)

身体データ
身長:168cm
体重:57kg
3サイズ:86・59・85
身体データは、ジャンプ1986年37号の付録「オールキャラ名鑑」の記載に基く
(情報提供:裏南斗酔狂拳R殿)


 ケンシロウの婚約者。慈母星を宿星に持つ南斗六聖拳の一人。南斗正統血統であり、幼き頃より「南斗最後の将」となることを宿命付けられている。実の兄にリュウガ、母違いの兄に雲のジュウザがいる。

 母の胎内に一切の言葉、感情を置き忘れたまま誕生。しかし北斗練気闘座でのラオウ、ケンシロウとの出会いにより心を取り戻した。その後、多くの男達から想いを寄せられるほどに美しく成長するが、ユリアはケンシロウと共に生きることを選び、恋人関係に。ケンシロウが北斗神拳の伝承者に選ばれた後、二人で旅立とうとしたが、シンによって阻まれ、ケンシロウが瀕死の重傷を負う事に。彼の命を助けることを条件に、シンを生涯愛することを宣言し、その後シンの居城にて軟禁状態とされた。しかし、己のために多くの血が流れることに耐えられず、城から身を投げて命を絶つ事を選んだ。

 だが実は南斗五車星の手によって命を救われており、拳王の手に落ちることを避けるため、シンと五車星が口裏を合わせ、死んでいたことにされていた事が明らかとなった

 拳王の覇権が間近に迫った頃、仮面と甲冑に身を包んだ南斗最後の将として立ち、五車星を従えてに蜂起。拳王軍に対抗する最後の勢力として、五車星達を次々とラオウへと差し向け、同時にケンシロウを自らの元へ導こうとした。やがてその正体は二人へと伝わり、自らの居城にてケンシロウとラオウが対決。だが想定外の事態により、ラオウに連れ去られてしまう結果となった。

 その後、「哀しみ」の正体を知らんとするラオウに命を奪われそうになったが、既に病により余命数ヶ月である事が明らかに。時代のために自らの幸せを放棄した生き様が、ラオウに哀しみを教え、彼に無想転生を纏わせることとなった。その後、仮死状態になる秘孔を突かれた状態で、ケンシロウとラオウの最終決戦の場である北斗練気闘座へ。ケンシロウが勝利した後に目を覚まし、ラオウの秘孔によって自らの命が数年伸ばされたことを知らされた。

 ラオウの死後、残る余生をケンシロウと静かに暮らすため、安住の地を求めて旅へ。その中でショウキの村へと辿り着き、そこで最期の時を迎えることに。今後は己への愛をリン向けてあげて欲しいとケンに告げ、自らのペンダントをリンのために残した。



 TVアニメ版では、サザンクロスでの生活の様子が多めに描かれている。髪は紫色に染められ、時折ハープを奏でて淋しさを紛らわせるシーンが追加されている。世話係としてサキなる少女が登場し、彼女の手引きでサザンクロスからの脱走を図るというエピソードも描かれた。

 南斗最後の将となってからは、髪色はオレンジ色に変化(元々の髪色はブラウン)。原作で、幼き頃にラオウの傷の痛みを和らげた能力が、より明確な"治癒能力"として描かれており、傷ついた拳王軍兵士の傷を、不思議な力で癒場面もみられた。



 『真救世主伝説北斗の拳 ユリア伝』では、では、予知の力を持っているという設定に。幼い頃、自らが乗る予定だった飛行機の墜落を予知し、自らの力に恐怖するが、いつかその力の意味を知る日がくると、養育係のダーマより告げられた。その後、リュウケンの下に預けられ、北斗四兄弟と共に生活を送った。
 サザンクロスで五車星に救われた後、拳王軍によって地獄と化した現世の姿を目撃。南斗最後の将を務めるダーマと再会し、この世に光を取り戻すため、今度は自分が将の仮面を被る事を決意。義勇軍を作り、ケンシロウを迎え入れ、北斗と南斗が一体となる事を約束した。
 その後、レイにケンの友となるよう告げたり、治療の為にトキの村を訪れたりしながら、拳王軍に対抗するための軍団を増強。ケンがサウザーに敗れた際には救出へと駆けつけ、気絶した状態のケンシロウと再会。ケンの救世主の道についていくことが己の宿命であり、それ故に自分がケンを選んだのであることを悟った。
 また、人生を一緒に歩む友として、トビーなる愛犬が登場。自らのペンダントをケンに渡す様を見て、彼が北斗と南斗に仕える星を持つ犬である事を知った。

 『真救世主伝説北斗の拳 トキ伝』では、旅立とうとするトキから一輪の花を預かり、来年花を咲かせたときに自分のことを思い出してほしいと頼まれた。

 『真救世主伝説北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝』では、ラオウ没後、ケンと共に浜辺の教会へ。二人だけの結婚式を挙げた後、その腹の中にケンの子供が宿っていることが明らかとなった。ただこれは「北斗を愛する者は皆、北斗を語り継いでいく"北斗の子"」という意味であり、二人に子供がいたというわけではない。


 『ユリア外伝 慈母の星』では、真救世主伝説同様、予知能力を持っているという設定に。
 「サヤ編」では、世話係のサヤの死を予知。運命を変える事の出来ない自分の無力さに嘆くも、ケンシロウの優しさがサヤに安らかに死をもたらしたのを見て、ケンと旅を共にする道を選んだ。
 「二つの魂編」では、南斗孤鷲拳の印可を受けに訪れたシンと初対面。慈愛のないシンの戦い方や愛の表現を否定した。後にシン、ジュウザと共に船内に閉じ込められることになるが、ユリアを死なせてはならないというシンとジュウザ思いの一致が奇跡を生み、協力した二人の手によって救い出された。

 『トキ外伝 銀の聖者』では、トキが愛犬のココが殺された場面に登場。それがトキとの初対面であり、あなたは強く優しい男になると予言した。

 『ジュウザ外伝 彷徨の雲』では、かつてジュウザが病気にかかった際、食事をとろうとしないジュウザに付き添い、自らも断食。結果それがジュウザを救うことになった。その時の出会いがジュウザとの初対面だったとされている。

 『北斗の拳外伝 金翼のガルダ』では、主人公であるガルダより命を狙われる立場に。幼い頃、ユリアが慈母星になることに異議を唱えた南斗の覇権派は、その対抗馬として南斗神鳥拳ビナタを推薦。しかし当のビナタは、ユリアと直に会う事でその力を認め、彼女に「慈母」を意味する南斗神鳥拳の仮面を託した。
 後にそのビナタの息子であるガルダから、母が死んだのは南斗の将が無力だったからだと憎しみを抱かれ、また乱世となっても全く動こうとしなかったことで更なる怒りを買い、その命と、将の座を狙われる事に。五車星が命を賭してもガルダを止められなかったため、自ら姿を現し、己とビナタとの関係を明らかにした。その後、この世の光のためにとガルダに殺される道を選ぶが、母の覚悟が無駄になるとして命は奪われなかった。

 『劇場版 北斗の拳』では、シンのもとから脱走を図るも、ラオウに捕らえられカサンドラへ。そこでリンと出会い、かつて己がケンに渡した花の種が実った事に感動を覚えた。その後、張りつけにされた状態でケンと再会するも、ケンとラオウの激闘の闘気に吹き飛ばされ、消息不明となった。

 『北斗の拳4 -七星覇拳伝 北斗神拳の彼方へ-』では、裏南斗悲運の将なる妹が登場する。




 メインヒロインであるユリアに与えられた役割は、浚われることだった。彼女はいわゆる「浚われ系ヒロイン」というやつなのだ(そんな言葉が存在するのかは知らない)。悪に浚われたヒロインを助けることが主人公の目的となり、それを軸に物語が展開していく。彼女自身がどうこうするわけではなく、敵に捕らわれているという状態こそが、彼女が最も輝く瞬間なのである。

 ただそういうヒロインには、「人気が出にくい」というデメリットがある。基本的には敵の下で捕らわれているだけで、主人公と行動を共にすることもなく、大して出番も与えられないため、人気を得る機会が無いのだ。ユリアの場合は、第10話で一旦死んだことになるので、なおさら出番が少ない。女性キャラの中でも、リン、マミヤに次いで3番目。アイリとも殆ど変わらないくらいだ。そして先の三人が結構泥臭い人生を歩み、辛い体験を経て成長していったのに対し、ユリアは生まれながらにしてエエトコのお嬢様であり、特に不自由のない人生を送っていた。これも不人気の理由のひとつだろう。実際はシンやラオウ様に浚われたり、不治の病で死んじゃってたりするので、一番不幸なキャラクターとも言えるのだが、それでもやっぱり人気には繋がらなかった。ある意味、それが一番の不幸とも言えるだろう。

 出番の話をするなら、肝心のケンシロウとの絡みのシーンも実はめちゃめちゃ少ない。いや回想を含めると結構あるのだが、ストーリーの進行上で言えば、ラオウ様に勝利してから旅立つまでの12ページしかケンシロウと一緒にいないのだ。しかもその間にケンシロウからユリアに話しかけたのは「ユリア……」の一言だけ。ゲームで最後に助け出す姫様とだってもうちょいトークあるよ。


 しかし、出番がどうの、人気がどうのなど、彼女にとっては瑣末な問題に過ぎない。そんなことでは彼女の正ヒロインとしての座はビクとも揺るがないのだ。この人気作品で彼女が不動のメインヒロインであり続けられる理由、それはなんといっても、その圧倒的なモテっぷりにある。ケンシロウ、ラオウ、トキ、シン、ジュウザといった名だたる男達を虜にしたテンプテーション能力は、まさに世紀末の淀君とも言うべき魔性の女ぶりであった。

 彼らを惹き付けたのは、やはり彼女が持つ慈母星・・・その圧倒的な母性が醸しだす暖かさ、慈しみに、傷ついた男達は癒しを求め、そして愛を求めたのであろう。だがただ優しいだけの女がそんなにモテる筈が無い。そこにはもちろんとびっきりの容姿も備わっていたはず。基本的に美女しか登場しない北斗の拳の世界の中でも、群を抜いた美しさを誇る、世紀末ミス・ユニバース1位の女。それがユリアなのだ。アニメの作画に恵まれず、あまりその美女具合を発揮できていないのが残念だが、その辺りは各々で脳内補完してもらいたい。


 彼女のモテっぷりは、世紀末の世に様々な事件を引き起こした。その美しさが男心を惑わせ、血で血を洗う戦いを勃発させたのだ。本人に悪気は無かったとはいえ、大いなる天然トラブルメイカーとであったことは間違いない。だが一方で、この時代に光がもどったのは、ケンシロウとラオウ、そしてこのユリアのおかげだと言われている。彼女は一体どのような形でこの時代に貢献したのか。

 サザンクロスから救出された後、南斗最後の将となったユリアであったが、彼女は特に何もしなかった。不治の病に冒されたことで、運命に抗わず、ただ天命の流れのままに生きることを決めた。「待つ」事こそが、己の宿命だと悟ったのだ。自分から動けば、幸せになる方法はいくらでもあっただろう。残り少ない命を少しでもケンシロウと共に過ごしたいという思いもあったはずだ。だが彼女は、その幸せを放棄し、南斗最後の将としてこの時代に身を費やす覚悟を決めたのである。

 そして拳王の覇権が目前に迫った頃、彼女は遂に動いた。南斗の将動けば北斗動き、天また動く。激動の時代に終止符を打つ宿命の時が、遂に訪れたのだ。その戦いで、五車星はユリアとケンシロウを引き合わせようとした。彼らはそれで一体何を成そうとしたのか。それは、北斗神拳の武力と慈母星のカリスマ性を持ってしての時代の統一だったと考えられる。
 例え拳王を倒したとしても、それだけで時代に平安は訪れない。新たなる覇者の座を巡り、群雄割拠の時代へと突入するのみ。それを回避するには、拳王の「恐怖による統治」に変わって「慈愛による統治」を成せる新たな統治者が必要であった。それこそが慈母星を持つユリアであり、そしてその騎士として北斗神拳伝承者であるケンシロウが必要だったのである。

 だが結局、その五車星の目論みは実現しなかった。病に冒されたユリアには、それを成せるだけの命が残されていなかったからだ。おそらく五車星はその事実を知らされていなかったのだろう。だがユリア本人は、当然その計画が砂上の楼閣だと認識していた。にも関わらず、彼女は計画を続行した。何故か。それは、彼女がケンシロウを、そしてラオウの力を信じていたからだ。

 ユリアは、母の胎内に感情を置き忘れて生まれてきた。何も感じることのない、人形のように生きることしかできない彼女は、生きながらにして死んでいた。だが北斗練気闘座を訪れたあの日・・・彼女の心は、ラオウによって誘われ、ケンシロウによって開け放たれた。暗く閉ざされた彼女の人生は、二人の男によって光を取り戻したのだ。

 ラオウが切欠を作り、ケンシロウが拾う・・・。奇しくもそれは、後の"時代"そのものでもあった。圧倒的な力と恐怖を持ってラオウが時代を統一し、ケンシロウの拳がその闇を晴らすことで、時代は光を取り戻した。二人の力を、"身をもって"体験していたユリアは、彼らにそれだけの力があることを知っていたのだ。時代を救えるのは自分ではなく、二人の拳であることを、彼女は誰よりも深く、誰よりも早く、見抜いていたのである。

 故に彼女は、自らの命を「二人の拳」に捧げた。時代を拾うことの出来る二人を、より高みへと上らせること。それが、命短し自分に残された宿命なのだと悟ったのだ。
 ラオウに勝利したとき、ケンシロウは言った。「おまえの心は一人。だがおれの中には長兄ラオウへの想い、ユリアへの想いが生きている。天地を砕く剛拳もこの一握りの心を砕くことはできぬ!!」と。最後の最後、ケンシロウがラオウの拳を上回ったのは、ユリアへの想いがあったからこそであった。
 そしてラオウもまた、ユリアのおかげで最強の男となった。彼女の哀しき生き様を知ったことで、ラオウは愛と哀しみを知り、無想転生を纏うことができたのだ。ユリアが自らの宿命を受け入れ、時代のために身を投じる生き方を選んだからこそ、ケンシロウとラオウという二人の最強の男がこの世に誕生したのである。

 だが、ユリアが命を費やしたのは、時代のためだけではない。彼女には、己を感情の無い世界から救い上げてくれたケンシロウとラオウへの大きな恩義があった。二人の力を極限にまで高め、悔いなく闘いへと送り出すことが、彼女にできるたった一つの恩返しだったのだ。だからこそラオウは、一片の悔いも残すこともなく最期の時を迎えることが出来たのである。あの北斗練気闘座での出会いは、単に三人が邂逅しただけの場面ではない。ユリアが二人の力を知り、そして二人に大いなる恩義を受けたことで、後の奇跡へと繋がっていく、大いなる時代のターニングポイントだったのである。



●南斗最後の将とは何だったのか

 物語序盤に死んだとされていたユリア。だが話が佳境に迫った頃、突如彼女は全身に鎧を纏った「南斗最後の将」としての復活を果たした。え、あんたが六聖拳最後の一人なの?ていうか生きてたの?その鎧なんなん?拳法使えないの?といった様々な疑問を抱えながらも物語は進行。そして気付いた時、彼女は再び捕らわれのピーチ姫状態と化しており、「南斗最後の将」としての出番は終了していた。

 ここで改めて考えてみよう。南斗最後の将とは一体何だったのか。


 ユリア以外の南斗六聖拳・・・即ちシン、レイ、ユダ、シュウ、サウザーの5人は、彼女が再登場するまでに全員死亡していた。結果的にユリアが六聖拳最後の一人となった事で、彼女は「南斗"最後"の将」と呼ばれている・・・それが一般的な認識だと思われる。

 だが「真救世主伝説北斗の拳 ユリア伝」の中において、このような解説が出てくる。「南斗乱れる時、北斗現れる。その北斗と共に最後に現れるが故に「南斗最後の将」と呼ばれる。」―――と。つまり、南斗最後の将が"最後"なのは、偶然ではなく必然・・・。たまたま先に他の五星が死んだから"最後"になったのではなく、他の五星が全て散った後に"最後"に現われるから「南斗最後の将」と呼ばれているということだ。

 これはあくまでユリア伝の中でのみ語られた設定であり、公式のものではない。だがあながち無視出来ない設定であることも確かだ。なんせ慈母星は、六聖拳の中でも特に異質な存在。少なくともユリアの代では、拳法を使えない女性がその座を務めていた。そのような者が、拳法でバチバチやりあっている最中に登場したとて、やれることは何一つ無い。だがもし南斗聖拳の"強さ"が通用しない事態が起こった時、その危機を救えるのは"強さ"以外の力を持つ者であろう。そう、それこそが慈母星なのだ。いわば他の五星が北風で、慈母星が太陽。力押しではどうにもならなくなったとき、最後の最後に全くの別の方法を用いて事態の解決を図ることの出来る南斗界のリーサルウェポン。それこそが「南斗最後の将」なのである。


 ではその「強さ以外の力」とは何なのか。慈しみの心で人々を照らしぬくもりを与える・・・。確かにそれもあるだろう。だが切迫した状況においては、もっと直接的な力が求められる。南斗における最強戦力である南斗鳳凰拳すら失われし状況で、彼らが他に頼れる存在といえば・・・そう、それは北斗神拳を置いて他にない。先の言い伝えでも、最後の将は「北斗と共に」現われるとされていた。つまり南斗最後の将が持つ"力"とは、南斗と北斗の橋渡し役になれる力の事なのである。

 物語序盤より、北斗神拳と南斗聖拳は表裏一体の関係にあると語られてきた。だが南斗最後の将が動き出した時から、そこに「北斗と南斗が一体となった時に真の天下平定が成就する」という新たな設定が登場した。これは付け焼刃の設定ではない。それまでに登場した南斗聖拳の者達では成し得なかっただけのこと。「北斗と南斗が一体となってこの世に平和をもたらす」事を実現できるのは、ユリアを置いて他にいなかったのだ。サウザーやシンなんかは、もともと北斗への対抗心が凄かった。他の拳法も、敵対心はないまでも、やはり対極にある拳法として北斗へのライバル心はあっただろう。だが拳法を持たぬ慈母星には、そのような感情は無い。北斗との協力関係を結ぶことが出来るのは、そこに抵抗感や劣等感を一切感じることの無い慈母星だけだったのである。

 だがそれは、ただ北斗に助力を求めるという事ではない。北斗神拳はあくまで暗殺拳。英雄を守護するために生み出された拳であり、北斗神拳自体が英雄になれるわけではない。しかし南斗慈母星にはそれを成せる力がある。北斗神拳が"力"となって敵を打ち倒し、その後の世界を慈母星の"愛"で暖かく光照らす・・・。双方の力があってこそ天下の太平が訪れるのだ。他の六聖拳では決して成す事の出来ない、この唯一無二の力こそが「南斗最後の将」の存在意義であり、拳法を持たぬ慈母星が南斗六聖拳の一角として君臨し続けられる所以なのである。


 ここまでを踏まえて考えるならば、南斗最後の将の正体が、"女性"のユリアであった事も当然と言える。将の役割が「北斗と南斗を一体とする」事だとするなら、拳法は不要なのだから男である必要が無いし、相手側に敵意が無い事を示すためにも女性の方が良いだろう。そして「一体となる」のなら、そりゃ男同士より男女のほうが良いよね。シェイクハンドして「一緒に頑張ろうぜ!」でもいいけど、文字通り"一体"になったほうが一体感あるじゃないですか。もちろんエロい意味で。それに両者が一体となってこの世に慈愛を齎すのならば、その両者の間にも愛があったほうが良いに決まっているじゃないですか。
・・・いやまあ男同士でも一体になれるし、愛がないこともないけどね。

 おそらくケンシロウとユリアが恋人同士になったのも、これが影響しているのだろう。後に北斗神拳伝承者になるケンシロウの宿命と、後に南斗最後の将となるユリアの宿命が共鳴しあったことで、二人は互いに惹かれあったのだ。「ぼくたちは結ばれる運命にあったんだね」などという歯の浮いた台詞をリアルで聞くと悪寒が走るが、ケンシロウとユリアに関してはまさにその言葉通り、宿命によって結ばれた二人なのである。うーんロマンチカ。


 しかし、南斗最後の将が"常に"女性だったとは限らない。先述の通り、南斗最後の将の出番が訪れるのは南斗聖拳が壊滅の危機を迎えた時のみ。北斗の拳の時代においては、核戦争によって世界が荒廃し、暴力がものをいう世界になったことが南斗六聖拳の崩壊に繋がった。故に天は、"慈母星"の宿命を持つユリアをこの世に使わせたのだ。しかしこれまでの時代の中で、このような危機的状況などあっただろうか?サウザーによると「南斗の先人達は北斗の影に怯え沈黙を強いられてきた」らしい。つまり南斗はこの1800年の間、特に大きないざこざを起こしてこなかったということだ。当然、南斗六星の存続の危機など殆ど無かっただろう。つまり天がユリアのような"慈母星"を世に誕生させる必要性も無かったのだ。

 もちろん、時代が"慈母星"を必要とするかしないかに関わらず、常に女性である慈母星が「南斗最後の将」を務めてきた可能性もある。しかし南斗六聖拳の一角が拳法を持たない女性だというのは、かなり異常な事だ。そんな事実を永々1800年も隠し通せるものだろうか。南斗五車星がいくらセキュリティを強めようが、情報など漏れるときは漏れるもの。完全に漏洩を防ぐことなど不可能であろう。だがもし南斗最後の将を務めるのが女性ばかりではないとすれば、その情報を撹乱することが出来る。ある時代においてはユリアのような女性、またある時はダーマのようなジジイ、またある時はゴリゴリのマッチョ。様々な情報が飛び交えばもはや何が真実かは霧の中。そもそも表舞台に姿を現さない、ほとんど形骸化したも同然の存在なのだから、それ以上真実を探ろうとする者もいなかったであろう。こうして南斗正統血統は、南斗最後の将の秘密・・・来るべき時にその座に就くのが慈母星を宿命に持つ女性であるという事実を、永きに渡って秘匿し続けることができたのだと考えられる。



ここからは余談だが、物語の冒頭、第7話の中にこのような文章がある。

天空にふたつの極星あり。
すなわち北斗と南斗。
森羅万象二極一対。
男と女、陰と陽、仁王像の阿と吽。




 北斗と南斗が二極一対であることを説明する際、「男と女」という一例が出てくる。二極一対とは、対極にある2つのものが合わさってに1つになるという意味だ。つまりこれは、作中で北斗と"一体"になった南斗・・・すなわち「南斗最後の将」が女性である事の伏線だったのではないだろうか。

 そしてこの説明があるページをめくると、その下から現われるのは、壇上に居るシン、そしてユリア(人形)だ。北斗と南斗が男女に例えられたその直後に現われた「女」が、後に本当に南斗の女だった事が明らかになるわけだ。

 北斗の拳は当初シンを倒すところまでしかプロットが用意されていなかったし、ユリアも本当に死んでいるものとして物語は進められていた。故にこれが伏線などという事はあり得ないのだが、それにしてもタイミングが良すぎる。武論尊先生は、この伏線を"偶然"生み出していたということだ。こういった奇跡を起こすほどの「もってる」男だったからこそ、これだけの作品を書き上げられたのだろう。



●若返るユリア

作中に差し込まれる回想シーンを時系列順に並べたとき、おかしな事態が発生する。途中からいきなりユリアが若返るのだ。

幼少期のユリアと一緒にいる描写が多いのは、ラオウ様、ジュウザ、リュウケンの3人。この3人の齢のとり具合などから判断して、回想を時系列順に並べてみる。



◆ユリア感情もどり時

北斗練気闘座でケンシロウ、ラオウ、ユリアの三人が初めて出会った場面。当然これが一番最初になる。当たり前だがみな若い。




◆ジュウザと遊ぶ@

ジュウザとユリアが遊ぶ3つのシーンは、いずれも時期的にはかなり早い方だと思われる。理由は後記。




◆ジュウザと遊ぶA

ジュウザの見た目的に、最初のより3〜4年は経過しているか。
ユリアも順調に成長。




◆ジュウザと遊ぶB

そこから更に1年くらい経過した頃と思われる。




◆卵ぶつけ事件

ジュウザがラオウに卵をぶつけて挑発した場面。ジュウザの見た目が明らかに上の「ジュウザと遊ぶB」の頃より成長しているので、その後の出来事と思われる。

この事件のときはユリアは出てきていないが、大事なのはこの時のリュウケンの年齢。




◆ラオウの傷癒し時

修行で傷ついたラオウの血を、ユリアがぬぐったシーン。

ラオウの見た目は上の「卵ぶつけ事件」の時と大差ないが、リュウケンに白髪が増え、明らかに老けているので、その後の出来事と推察される。


もうお分かりだろうか。どう見てもユリアが若返っている。




◆鬼フドウ襲撃時

まだ鬼だったころのフドウが、北斗の道場や南斗の郷を襲った時。

ラオウが10代後半くらいまで成長しており、リュウケンの髪も真っ白になっているので一番後期であることは間違いないだろう。


にも関わらず、ユリアはどんどん若返っている。







時系列順にユリアだけを並べると・・・















うむ、どう見ても途中から完全にベンジャミンバトン状態である。




「ラオウの傷癒し時」の時は、まだ言い訳のしようがある。あのとき、ラオウ様はリュウケンからの虐待・・・もとい厳しい修行により、半死半生の傷を負っていた。本人も「う…動かぬ…目も開かぬ…」と言っているくらいだ。つまりこの時、ラオウ様はユリアの姿を朧げにしか視認できておらず、左図のようにクリアには見えていなかったはずなのだ。故にこれは殆どラオウ様の脳内イメージ・・・おそらく数年前に見たユリアの姿を参考画像のように当てはめただけのシーンなのだろう。

しかし「鬼フドウ襲撃時」の方はどう頑張っても言い繕うことはできない。時系列的に一番後ろなのに、その見た目は感情を取り戻した頃と殆ど変わらないまでに戻っているという摩訶不思議さ。もともと人間離れした存在だと思っていたが、まさか彼女は本当に人外の存在なのだろうか。




 ただひとつ、ほぼ反則技ではあるが、この現象に理由をつけることはできる。それは「彼女はユリアではない」という考え方だ。

FCソフト「北斗の拳4 -七星覇拳伝 北斗神拳の彼方へ-」に、ユリアの南斗最後の将と対を成す存在である「裏南斗悲運の将」なる者が登場する。その正体は、ユリアの妹だというのだ。もしかしたらこの「鬼フドウ襲撃時」のユリアは、この妹のほうだったのではないか。
 妹なのだから、ユリアと見分けがつかぬほど似ていてもおかしくはない。また、当然ながらユリアよりも幼い。フドウ襲撃時に本物のユリアが15歳程度であったとしても、妹の彼女が6歳だった可能性はあるのだ。また、裏南斗の将である彼女もユリアと同等以上の不思議なチカラを秘めており、そのカリスマ性をもってすれば鬼フドウを改心させるくらいの事は容易にできただろう。

 劇中で彼女は「ユリア様」と呼ばれているので、普通に考えればユリア本人に間違いないのだが、妹である彼女が姉の影武者だったと考えればなんとか辻褄はあう。そもそも人間が若返るという異常事態に比べれば名前など些細な問題だ。深く考えてはいけない。そう、皆も深く考える必要など無いのだ。ここで見た考察など全て忘れ、温かくして寝るのが一番良いのだ。