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無想転生
むそうてんせい



流派: 北斗神拳
使用: ・ケンシロウ(対 ラオウ)
 …原作(124話) アニメ版(100話)※2回
・ケンシロウ(対 ラオウ)
 …原作(131話) アニメ版(107話)

・ケンシロウ(対 カイオウ)
 …北斗の拳(184話) アニメ版(136話、148話)
・ラオウ(対 ケンシロウ)
 …北斗の拳(131話) アニメ版(107話)
・霞拳志郎(対 劉宗武)
 …蒼天の拳(150話)
・霞拳志郎(対 霞拳心)
 …蒼天REGENESIS(アニメ23、24話)
・ブロンザ(北斗の拳2(FC))
・北斗4主人公(北斗の拳4)
登場: 北斗の拳/アニメ版/蒼天の拳/蒼天リジェ(アニメ)/ラオウ外伝/
ラオウ伝激闘/Legend of Heroes/北斗の拳2/北斗の拳3/北斗の拳4/
北斗の拳5/北斗の拳6/北斗の拳7/SEGA2500/激打/激打2/激打3/
PS版/サターン版/審判の双蒼星/パンチマニア/北斗無双/真北斗無双/
北斗が如く/リバイブ/ぱちんこ 他/モバイル真・北斗無双


 北斗神拳の究極奥義。その真髄は、無より転じて生を拾うことにあり、実体を捉えられない"無"の状態から、意思を持たぬ姿無き拳を放つ。相手の攻撃を無意識で回避すると同時に、防ぐ手立てのない無想の拳を浴びせる攻防一体の奥義。哀しみを背負った者のみが成しうるとされており、北斗神拳の歴史の中でもこの奥義を体得した者はいないとされていたが、ケンシロウは数々の強敵達との闘いによって哀しみを背負うことで、歴史上初めてこの奥義を身につけた男となった。後にラオウも、ユリアへの愛と哀しみを背負うことで、この奥義を手にしている。

 ラオウとの戦いの中で初めてケンシロウが初めて使用した際は、己の身を砕くラオウの剛拳を二度も空を切らせ、トキの流れるような動きや、レイの拳によって反撃するなどして、ラオウに恐怖を抱かせた。後の北斗練気闘座での決闘の際には、双方ともこの奥義を身につけていたため、他の奥義が武器とならず、二人の闘いはただ力の限り殴りあうだけの赤子の戦いと化した。

 後にカイオウとの戦いの中でケンシロウが再び使用したが、暗琉天破によって自らの位置を確保できなくされ、闘気を抑えられなくなったために居場所を看破されてしまい、破られた。だがTVアニメ版では、カイオウとの最終戦でも再び使用し、進化したその拳で暗琉天破を掻い潜り、カイオウに傷を与えている。



 『蒼天の拳』では、霞拳志郎が、劉宗武との闘いの中でこの奥義の一端を見せる場面が登場。倒れた拳志郎に向けて宗武が拳を振り下ろそうとした瞬間、宗武は拳志郎の体から発せられる殺気の中に深い闇を目にし、死を感じて後退。もしその闇の中に拳を突き入れていれば、拳志郎の無想の拳が己を襲っていたであろうことを予感した宗武は、これこそが、北斗神拳の究極奥義・無想転生ではないかと口にした。



 『蒼天の拳REGENESIS(アニメ版)』では、霞拳志郎が霞拳心との戦いの中で使用。踏みつけ攻撃や裏拳、回し蹴り、右拳といった攻撃を全て回避した。しかし周囲を闇で覆う黒洞天殺からは、及ぶ範囲の広さゆえに逃れることはできなかった。回避の際に相手に反撃する効果は描かれていない。

 尚、拳志郎が無想転生を体得していたとするなら、リュウケンの「北斗二千年の歴史の中でそれを体得したものはおらぬ」という発言と矛盾していることになるが、原作者である堀江信彦氏によると、無想転生の使い手達はこの奥義を技として認識しておらず、ある境地に達した時にのみ発動する技であるため、拳志郎やケンシロウですら無想転生を"修得"したわけではないと語っている。


 ゲーム作品ではケンシロウが使える最強の奥義として登場する事が多く、「一定時間無敵」か「最大ダメージを与える技」として扱われる事が殆どである。
 一方で、北斗の拳3といったRPG作品の中では「回避率が上がり通常攻撃を受ける確率が減る」という、大して有難味の無い奥義になっている。北斗の拳4では次代の北斗神拳伝承者である主人公が会得するが、同時に覚える南斗鳳凰拳最終奥義 天将鳳拳がストーリー上のメインであり、無想転生のほうがオマケのような扱いとなっている。

 また、『北斗の拳2(FC)』では、元斗皇拳の使い手であるブロンザが無想転生を使用してくる。哀しみと闘気を同時に体内の持てる故、無想転生を使用しながら闘気を放つ奥義も放つ事が出来るという設定であるらしい。

 『北斗が如く』では、一定時間、無敵状態かつ強敵達の奥義を連続で繰り出せるという技として登場。従来の強敵の他、タルーガナダイといったオリジナルキャラに加え、ジャギウイグル蒙古覇極道等も使用できる。ただし一度クリアしないと覚えられないという位置付けになっている。






 分身技、という三文字で片付けるにはあまりにも原理が難解な奥義。さすが究極だ。それもこれも、哀しみを背負わなければ体得できないという非常に一般人には理解しにくい設定が全てだと思う。哀しみを背負う事。それは人間にどういう影響を及ぼすのだろう。
 北斗の世界で感情が影響するものといえば、闘気である。ということは、闘気の質になにかしらの変化を起こすことが無想転生の鍵なのではないか。闘気を纏わせるものとして有名なのは非情さであるが、北斗琉拳の魔闘気はどちらかというと怨みの闘気といったほうが正しく、他にも怒りであったり執念であったりと、一概に闘気といっても色々な種類があるようだ。そして無想転生にも闘気が必要なのだとしたら・・・・そう、それは「哀しみの闘気」に他ならない。そんなものが本当にあるのか?と思われるかもしれないが、それと近しきものは作中に登場している。ヒョウが記憶を取り戻したときに現れた、悲しみの闘神オーラである。極限の哀しみを背負う事。それは「哀しみの闘気」を纏っているという事なのだ。

 非情や憎悪といった感情は愛を否定しているのに対し、哀しみは愛を持つが故に抱く感情だ。故にそこから発生する闘気も、非情、憎悪らで纏う闘気とは真逆の性質を持っているはず。普通の闘気がプラスだとすれば、哀しみの闘気はマイナス。怒りも哀しみに。怨みも哀しみに。哀しみも哀しみとして、全てをマイナスへと昇華させることこそが、哀しみの闘気を得る方法なのである。ケンとラオウの最後の戦いの時、バットは「二人の拳に憎しみが見えない」と言っていた。それは、二人が互いへの憎しみや怒りを哀しみへと変えることが出来た証に他ならない。トキは「哀しみを怒りに変えて生きよ」と言っている。確かにそれでプラスの闘気は得られよう。しかし無想転生を得るにはむしろ邪魔。まったくの逆だ。トキですら全く発想の外であった、哀しみの積算という道の先にのみ見つけられる秘拳であるからこそ、無想転生という奥義を史上誰も体得することが出来なかったのである。

 して、その「哀しみの闘気」は奥義にどう影響を及ぼすか。リュウケンはこの奥義を「この世で最強のものは無。その無より転じて生を拾う」と語っているが、本当に身体が無になるのだとしたら語ることが無くなってしまうので、何かしら理屈をこねて「無」の正体を探ってみたい。
 ヒョウは、魔闘気によって周囲の空間を屈曲させるという技を使い、ケンシロウの攻撃を秘孔から逸らしていた。そう、闘気で攻撃を逸らしていたのである。もしかしたら無想転生もこれと同じ原理なのではないか。魔闘気のは周囲の一部だけを屈曲させていたが、哀しみの闘気はそれと同等以上の屈折率を持ち、それを周囲に広げることによって身体全体の位置を錯覚させる効果を持っているとは考えられないだろうか。水によって屈折させられた光線が真っ直ぐな軌道を描かないのと同じように、自らに放たれた拳の軌道を、屈折によって変化させ、空を切らせる。これが、無想転生が相手の拳を空切らせる原理・・・・「無」の正体なのである。また、闘気とは煙のようなものなので、その表面は当然滑らかではない。ということは乱反射も起きると言う事である。無想転生発動後に現れる分身も、その哀しみの闘気による乱反射が生み出した幻覚なのである。

 しかし空間が屈折していれば自らの拳も空を切ってしまうはず。それを攻略しているのが、無想転生の解説の「無より転じて生を拾う」という部分なのであると思う。無によってまず相手の攻撃をかわす。その瞬間に「無」を「生」へと転じる。つまり、「哀しみの闘気」から「通常の闘気」へと瞬時に切り替えるのだ。それによって自らの反撃の瞬間には屈曲空間を解除し、拳を当てることを可能としているのである。

 無想転生の攻撃面に関して。「意識を持てば即ち拳の姿は現れる。無想のうちに放たれし拳はこれを防ぐ手立てなし。」これは蒼天の拳での劉宋武の解説だが、これは無想陰殺の解説と近い。まあ無想ってのは何も考えてない事なんで当たり前なのだが・・・・。要するに無想転生と無想陰殺は、どちらも「相手の攻撃に無意識無想で反撃する拳」であり、攻撃面だけで言えばかなり近い拳であると考えていいと思う。異なるのは、無想陰殺が殺気で相手との間合いを見切り、相手が間合い内に入ってから反撃するのに対し、無想転生は相手の拳が寸前にまで迫っていたとしても無によって拳をスカらせ、その後悠々と反撃できる拳であるということ。あまり大きな違いはなさそうだが、間合いに入られた後、体制を崩された後等、あらゆる不利な体勢からでも確実に攻撃をかわし、逆に自らの拳を当てることができるというのはすさまじいアドバンテージである。

 とまあ考えられるだけ考えてみたが、この究極奥義に考察などは野暮でしかない。そもそも無想だと言っているのに考えてる時点で駄目だ。無想転生を見るものもまた無想であれ。