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フドウ


登場:原作(110〜130話) TVアニメ版(87〜104話)
   真救世主伝説シリーズ、北斗無双、他
肩書:南斗五車星
流派:五車の拳
CV:飯塚昭三(TVアニメ版、PS版)
   木村雅史(激打2)
   郷里大輔(真救世主伝説シリーズ )
   宮崎寛務(北斗無双・真北斗無双)
   小山剛志(DD北斗の拳 1期)
   うえだゆうじ(DD北斗の拳 2期)
   松山鷹志(イチゴ味)
   金光宣明(スマショ、リバイブ)

身体データ

身長:225cm
体重:270kg
スリーサイズ:240・200・230
首廻り:90cm

 南斗最後の将を守護する「南斗五車星」の一人。通称「山のフドウ」。作中でも屈指の巨人であり、その体重は300kgにも達する(公式設定では270kg)。親に捨てられた孤児達を引き取り、親代わりとなって育てている心優しき人物であるが、かつては「鬼のフドウ」と呼ばれ恐れられた悪漢だったという過去を持つ。

 鬼と呼ばれていた時代、北斗の道場で行われた試合で、リュウケンの弟子達をゴミのように抹殺。その残忍さは、当時のラオウすら恐怖させた。だがその後、幼きユリアより命の大事さを教えられ改心。武具を封印し、南斗五車星の一人としてユリアに仕える生き方を選んだ。

 拳王の覇権が間近に迫った頃、ケンシロウ南斗の城に連れてくるという任務を与えられ、正体を隠したままケンシロウと合流。後に自らの素性を明かし、将に会ってほしいとケンシロウを説得し、リンの後押しもあってなんとか願いを聞き入れてもらった。その後、ケンシロウを単身城へと向かわせたものの、拳王軍ヒルカに養子であるタンジとジロをさらわれてしまい、二人を助けるために流砂へと飛び込んで絶体絶命の危機に。だがピンチを聞きつけてケンシロウが戻ってきてくれたおかげで、九死に一生を得た。その後、もはや隠す必要もないと判断し、最後の将の正体が、ケンシロウの最愛の人であるユリアであることを明かした。

 ユリアがラオウの手に落ちた後、滞在していた自らの村に、思いもかけずラオウが襲来。ケンシロウに感じた恐怖を払拭するため、かつて己に恐怖を感じさせた「鬼のフドウ」との戦いを所望するラオウの気持ちに応え、封印していた武具を身につけて闘いに臨んだ。闘いは収支劣勢であったものの、己と、そして子供達の瞳に宿る哀しみでラオウを恐怖させ、ラオウ自らが引いたデッドラインより退かせることに成功。その場合、本来は拳王に矢が放たれるはずであったが、結果的に拳王軍は命令を無視してフドウを射撃した。死ぬ間際、駆けつけたケンシロウに対し、この時代をその手で抱き包んで欲しいと願いながら息絶えた。

 TVアニメ版では、シュレンと拳王が戦っている最中にケンシロウと合流(原作ではヒューイがやられるより前に合流済)。ドルフィゼンダのコンビネーションに苦戦するケンシロウをサポートしたり、検問を行う橋では変装してリンやバットの父親を演じるなど、アニメオリジナルのエピソードがいくつか追加されていた。


 『真救世主伝説 ラオウ伝 激闘の章』では、かつてリュウケンに戦いを避けられたと理由で、その弟子であるケンシロウに勝負を挑むという形で登場。しかしその鬼の振る舞いの中にある善人の心を見抜かれ、ケンは戦いを避けた。

 『ジャギ外伝 極悪ノ華』では、悪の象徴としてジャギの憧れの存在であった事が明らかに。ジャギのつけている棘付の肩当が、鬼時代のフドウのものをモチーフにしたものだとして描かれた。

 『ジュウザ外伝 彷徨の雲』では、ヒューイシュレンジュウザとともに、将を守る宿命を持った子供たち(?)の1人としてリハクの下に集められるというエピソードが描かれた。しかし訓練には全く顔を出さなかったらしい。また、他の面子と比べるとやはり一人だけかなり齢を食っていたらしく、ジュウザにオッサンよばわりされていた。

 『北斗の拳外伝 金翼のガルダ』では、 ガルダが城へ迫っているとしてリハクより召集を受け、トラックの荷台に乗って将の城へ。道中、ジュウザと遭遇し、共に連れて行こうとしたが、逃げられた。
 城へと到着後、体当たりで壁もろともガルダをフッ飛ばしながら登場。駆けつけたヒューイ、シュレンと共に三人がかりでガルダに挑んだが、互角の戦いに持ち込むのが精一杯だった。

 『北斗の拳イチゴ味 五車星GAI伝 其之二 SCRAP MOUNTAIN』では出生から鬼となるまでのエピソードが描かれている。母の腹を突き破って生まれるほどの巨大な赤子だったため、村人たちから「鬼の子」として忌まれ、冬の山中に置き去りに。山で暮らす老女に拾われて育つが、12歳になった頃、村人が失踪する事件が続いたことで犯人扱いされ、猟銃を持った村人たちから命を狙われることに。何発も銃弾を受け殺されそうになるが、それをかばった老婆が撃ち殺されたのを見て逆上。村人たちを皆殺しにし、山火事と共に姿を消した。




 スタイリッシュな体型でスタイリッシュな拳法を使う拳士が幅を利かせる北斗の拳の中で、ひときわ目出つその巨体。おまけに顔も死ぬほどオッサンで、闘い方は泥臭いパワー特化型という、通常なら人気が出る要素ゼロのキャラクターな筈なのだが、何故か好きだという声が絶えない愛され人。それが山のフドウという男だ。

 彼の好印象の理由として一番に挙げられるのは、多くの孤児を養う心優しき人柄であろう。しかも稀代のワルからの大更正を経ていることが、その魅力をより引き立てている。北斗の拳の中で、こういった改心キャラというのは意外と珍しい。改心しても大体は死ぬ直前であり、殆ど汚名返上のチャンスもないまま死亡するわけだが、フドウは幸いにも長期に渡る贖罪の機会を与えられた。かといって、過去の罪を悔やんでウジウジするような場面がないというのもまた良い。罪は罪として背負いながらも、その過去を振り返ることはしない。ユリアを護り、そして子供達を護ることこそが己の赦される唯一の道だと信じ、前だけを向いて生きていく。だからこそ、彼はあんな笑顔できるのだ。


 彼の最大の特徴は、なんといってもあの体躯だ。デビルリバースには流石に劣るものの、他者との対比から推測するに、その身長は優に5メートルは超えていると思われる。だが設定上では、僅か225cmしかないのだという。北斗の拳には「闘気を纏った者は身体が大きく見える」という裏設定のようなものがあるが、フドウの場合はどちらかというとラオウ様と対峙して闘気が戻った時の方が小さく見えた。210cmのラオウ様(これも小さいが)とそこまで大差のない大きさだったので、225cmも妥当な数字だったと言える。闘気の欠片もない穏やかモードの方が逆に巨大化しているのだ。これは一体どういうことなのか。

 おそらくその秘密は、彼の持つ「父性」にあるのではないかと思われる。鬼としての生き方を捨てたフドウは、その贖罪のためか、多くの子供たちを養子に迎え、彼らの父親となって生きる道を選んだ。色々な意味でのビッグダディになったのだ。子供にとって父親はいつまでも大きな存在。そして父親も、子供達の指標となるために常に大きな存在であろうとする。己が養う子供達・・・いやこの世紀末に生きる全ての子供達の父親として、彼らを護りうる大きな存在でありたいと願うフドウの心が、彼の身体をより大きく見せているのではないだろうか。

 しかしその理屈で言うなら、子を愛する父親は皆一様に大きく見えるという事になる。自分の父親はそう見えたとしても、そこらへんのアットホームダディまで大きく見えるような現象はまずない。だがそれは通常レベルの話。フドウの父性は、一般のそれとは覚悟が違うのだ。

 多くの子供達の父親であるフドウだが、同時に彼は、南斗最後の将を守護する「南斗五車星」でもあった。そんな彼に与えられた役目は、ケンシロウを将のもとに案内する事。だが彼はその役目を果たす事が出来なかった。拳王軍の手によって、一部の子供達が命の危機に晒された。大きなショックを受けた彼らのため、そしてまた訪れるやもしれぬ危機から彼らを護るため、フドウは彼らの側にいることを選んだのだ。つまりこの時、フドウの「父性」は、五車星としての宿命すら超えたのである。

 自らを鬼の道から救い出してくれたユリアは、フドウにとって最大の恩人であった。将のためならいつでも命を投げ出す覚悟を持っていた。だがその五車の宿命を投げ打ってでも、フドウは父親であることを選んだ。それほどまでに重き「父性」を持つ男だからこそ、彼は誰よりも大きな"父親"として人々の目に映るのである。



●彼は本当に「鬼」だったのか?


 フドウが鬼となった経緯は、「イチゴ味外道伝」の中で描かれている。その作品の中でフドウは、生まれてすぐに忌み子として森へと捨てられ、1人の老婆と共に森の中で生活。しかし村人達よりあらぬ疑いをかけられ、殺されかけた自分をかばって育ての母が死亡。その憎しみから鬼になった―――とされていた。

 外道伝は所詮ギャグ漫画の延長線上なので資料として扱うには心もとないが、この設定はなかなか馬鹿にはできない。フドウが鬼から脱却することになったあの時、ユリアがフドウに行ったのは、「掌の上に子犬を乗せる」というただそれだけの事であった。たったそれだけで、フドウが鬼として生きた十数年が崩れ去ったのである。フドウにとって命の温もりというものは、それほど衝撃的なもの・・・人生で始めて目にする程のレアな存在だったという事だ。つまりそれは、彼が人の温かさに全く縁の無い人生を送ってきたことの証。それこそ外道伝で描かれたような、人里離れた森の中での生活、そしてただ体が大きいというだけで鬼の子と呼ばれ蔑まれるという辛い幼少期を送ってきた可能性が高いのだ。

 フドウの中に「鬼」など最初から存在していなかった。その巨大な見た目に怯え、誰も彼に近づかなかったが故に、フドウは人々とのふれあいを体験することができず、それがあのような無法者を生んでしまった。そして一度「鬼」と化してしまった彼には、ますます誰も関わろうとはしなかっただろう。どこぞの聖闘士聖衣のような鎧を纏い、人間をウジ虫が如く踏みつぶす300kgの男に、どうやって「命の大切さ」を説けというのか。しかし彼の鬼は、周りの人間の怯えた視線が生み出したいわば幻想の鬼。無垢なるユリアと触れ合ったれただけであっさりと消滅した、ハリボテの狂気であった。故に彼は、ああも華麗に「鬼のフドウ」から「善のフドウ」への転身を果たすことができたのである。



●彼は「父親」になるべきだったのか

 理由があるにしろ無いにしろ、フドウが罪なき多くの者達の命を奪ってきたことは事実。そんな男がよくも五車星などという重要な役職になれたものである。彼を推すような勇者は流石にいないと思うので、この人事にはユリア本人の口添えが大きかったと考えるべきだろう。フドウとユリアの間にはそれだけ深い信頼関係があったということだ。また、深刻な人材不足という理由もあったと考えられる。五車星の未来のエースと目されていたジュウザがあんな事になってしまったため、足りなすぎる戦力を補強しうる唯一の存在としてお声がかかったのかもしれない。

 さて五車星に選ばれたものの、来るべきときまで特に仕事は無かったためか、フドウは多くの孤児達を引き取ってビッグダディとしての生活を開始する。しかし彼の立場を考えれば、それは不用意な選択だったと言わざるを得ない。過去に買った多くの恨み、そして現在の立場を鑑みても、フドウには数多くの敵がいたはず。そんな男が多くの子供を預かるというのはあまりに危険ではないか。それにフドウという男の強さを考えれば、彼の向こう脛である子供たちの方が狙われる事は必然。実際ヒルカにそれをやられて大ピンチに陥っている。ならばせめて将のいる南斗の都で暮らすとか、己が留守にする間だけでも預ける事はできなかったのだろうか。

 考えうる理由が一つある。それは、タンジとジロがヒルカの実子だったことだ。拳王軍幹部が捨てた子を、フドウが育てていた・・・これは偶然なのだろうか。

 ヒルカは拳王軍の中でも最も残忍と言われる男。そんな男が父親という時点で、タンジ達の里親として名乗り出る者は少なかっただろう。たとえ見つかったとしても、タンジとジロには大きな受難が待っている。「ヒルカの血が流れている子供」というレッテルだ。それで差別を受けるだけならまだしも、ヒルカに親族を殺された者達からの筋違いの復讐を受ける可能性だって考えられる。そういった事態を避ける為にも、二人は人目を避けて生きねばならなかった。故にあのような辺境の小さな村で暮らすより他になかったのだ。そう考えた場合、村で暮らす他の子供達も同じような境遇である可能性は高い。そんな「ワケアリ」の子供達を纏めて引き取ったのが、フドウだった。親にも捨てられ、里親も見つからず、村に住むこともできない。そんな子供達を救えるのは、もはやフドウを置いて他にはいなかった。そして何より、そんな「ワケアリ」の子供達に一番寄り添えるのは、同じ「ワケアリ」の過去を持つ自分しかいないとフドウは思ったのではないだろうか。


●五車星として

 そして物語は原作のストーリー上へ。サザンクロスでのユリア救出作戦では、城のテラスから身を投げたユリアを見事に救出してみせた。え?なんでフドウの功績だと解るのかって?だってヒューイ、シュレンが偵察中で、ジュウザも居ない、トウは女、リハクはリハク。他に出来そうなのおりませんやん。

 拳王の覇権が近づき、五車星が本格的に動き出した際には、ケンシロウを将の城まで案内する役目を与えられた。ケンをすんなり導きたいのなら、こんな目立つデカブツよりもヒューイやシュレンのほうが適任だと思うのだが、彼を待つ子供達がいる以上、フドウに「ラオウと戦って死ね」とは命じられなかったのだろう。意味無く戦士を殉職させるブラックさと育児休暇をしっかりと取らせるホワイトさ併せ持つグレー企業南斗五車星。

 大岩による圧殺というとても正義側とは思えない戦法で拳王軍を蹴散らしたフドウ。しかし流砂地に子供達を投げ入れられるというあまりにも非常な作戦の前に、優しきフドウは無力と化す。己が流砂に飛び込んだからといって子供達が助かるわけではない。だが涙ながらに父の名を叫び、必死にその小さな手を伸ばす子供達を見殺しにすることなど出来るわけがない。己がしてやれるのは、ただ一緒に死んでやることだけ・・・。今まさに実の父に殺されかけている子供達の絶望、そして無力な己に対して無念の涙を流すそのシーンは、屈指の名場面と言えるだろう。そしてここからのケンシロウ到着、時を同じくしてのラオウvsジュウザの開戦、更には将の正体判明からの南斗の城決戦という流れは、北斗の拳の全篇の中で最も盛り上がった展開であろう。

 そしてラオウ様との最終決戦。力の差は歴然だったものの、己と子供達による哀しみEYEの集合パワーによってラオウ様を退かせ、その身体に再び恐怖を刻み込ませた。その結果、フドウは子供達を護ることができたわけだが、あの時彼が救ったのはそれだけに留まらない。もしあそこでラオウ様が哀しみの力に気付くことができなかったら、彼はケンシロウの無想転生の前になす術なく敗れ去っていただろう。また、ユリアの寿命を延ばす事もしなかったはずだ。そして最期の時、愛を知らぬままのラオウ様では「わが生涯に一片の悔いなし!」の名言が生まれることも無かった。つまりフドウの死は、ラオウ様を救い、ユリアを生かし、そして北斗の拳という作品を名作たらしめるほどの影響を及ぼしたのである。

 最期は、ケンシロウと子供達に見送られながら笑顔で天へ。アニメでは「ユリア...永遠に」をBGMに回想が流れるというかつてない程の演出を施されていた。彼の功績、そして愛され具合を考えれば、当然の神対応と言えるだろう。

 ただそんな印象深い死に方をしたにもかかわらず、ケンさんが数々の強敵を思い出す場面では高確率で思い出してもらえないんですよね・・・。サイズ的に入れにくいのだろうか。それとも一人だけゴリゴリのオッサンだから浮いてしまうのだろうか。



●フドウの強さを支えるものとは

 フドウの強さに関しては、一概に判断出来ない部分が多い。ルール上とはいえラオウ様に土を付けたというのは大変な殊勲ではあるが、勝負内容で言えばラオウ様のほうが圧倒していたし、フドウから鬼を引き出す事が目的の闘い方であったため、ラオウ様の方が全力ではなかった可能性も考えられる。

 それでも、あそこまでラオウ様の拳を受けても耐え続けた頑丈さ、そして拳王軍との戦いでも数十に及ぶ矢を背に受けながら長時間戦い続けたタフネスぶりは流石だ。しかしそれは、彼には敵の攻撃を躱す術がないという意味でもある。そりゃあれだけ巨大なのだから被弾率は高いだろうし、なによりスピードに欠けるであろうから仕方ない。しかしそれも織り込み済みで、多少攻撃を喰らいながらも、その圧倒的なパワーで押し込めれば易々と勝利を掴む事が出来るだろう。つまりフドウは、完全なる「肉を切らせて骨を断つ」タイプの戦士であると考えられる。

 一度でも相手を捕まえる事が出来れば、フドウの勝利は揺るがないだろう。ラオウ様との力比べでタメをはれる男だ。ベアハッグなりで手足の動きを封じさえすれば、どんな相手をも圧殺することが出来るはず。しかしその「捕らえる」までが難しい。先程も述べた通り、300キロの身体ではスピードには期待出来ない。南斗のように身軽さに長けた拳法が相手では触れる事すら至難の業であろう。

 攻撃に耐え続けていればいずれチャンスは訪れるかもしれない。しかし肝心の防御力の方にも不安はある。頑丈そうに見えるフドウの身体だが、普通の矢でも通ることは確認済み。そしてあの巨体を持ってしても、矢を数十本も受ければ立つ事すら困難なダメージを受けることも証明されている。相手がヒューイクラスの拳士であっても、遠距離からチマチマ攻撃されるだけで、案外早めにダウンしてしまう可能性も考えられるのだ。

 だがフドウは、ただ力任せに攻めるだけの猪武者ではない。ケンシロウも言っていた通り、彼は「拳法家」なのだ。作中ではそれらしい場面は殆ど見せられなかったが、それは仕方のない事。拳王の大軍団相手では明らかに岩で潰した方が効率がいいし、ラオウ様のような強者を相手にしたならば生半可な拳法など逆効果。型を無視した全力攻撃の方がまだ通用するだろう。ただ使う機会が無かっただけで、我々の知らないもっと技巧的な闘い方をする「拳法家・山のフドウ」が存在するはずなのだ。

 だが何もそれでフドウが超絶強くなる事を期待している訳ではない。求められるのは、拳法に含まれる技の一端・・・どちらかというと補助的な技だ。相手を怯ませる。視界を奪う。足をもつれさせる。何でも良い。間合いを詰める為の一瞬の隙を生み出せる技さえあればいいのだ。流砂に飲まれかけた時、タンジとジロを投げる前に使用した息吹なんかが丁度良いかもしれない。あれで砂煙を発生させ、相手が怯んだところでガッとその身を捕える事ができれば、もうフドウの勝利は確定と言っても良いだろう。


 かつては「鬼」として全ての拳法家から畏怖されていた男。だが、ただの力自慢が名を馳せられる程この世界の武道界は甘くはない。その体躯、パワーを最大限に生かす事の出来る「闘い方」を熟知していたからこそ、彼は幾多もの屍を築き上げ、鬼と呼ばれるまでになったのである。