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シャルル・ド・ギーズ



登場:第18〜118話
肩書:フランス陸軍情報武官
流派:北斗孫家拳 
CV:楠大典(アニメ蒼天の拳)
   置鮎龍太郎(REGENESIS・ぱちんこ)

 フランス陸軍情報武官(大佐)。上海生まれのユダヤフランス人。妹ソフィーナチスの追撃によって記憶を失った事などを受け、上海に流民達の安息の地を作ろうとしている。かつて芒狂雲と共に北斗孫家拳を学んだが、本人は護身術程度にしか考えていない。

 拳志郎ゴランが闘う処刑遊戯の場にて初登場。黄西飛の発砲命令を取り下げ、戦いの行方を見守り、その北斗神拳の凄絶さに興味を惹かれた。その後、潘光琳と組んで上海を手に入れんと画策し、拳志郎たちに協力。潘光臨救出後は、資金面で多額の援助をするなどして、青幇復活に貢献した。

 上海が浄化されたのを機に、北大路剛士と手を組み、上海に安息の地を作る計画を推進。自らの危険な立場を省みて、拳志郎に妹ソフィーの護衛を頼んだ。その後、拳志郎の秘孔によってソフィーの記憶が戻った事に歓喜するも、張太炎の手によってソフィーは死亡。太炎に憎しみを抱くが、北斗曹家拳の伝承に秘められた哀しき親子愛を知り、太炎に今しばらくの命を与える事を決意。自らのサーベルにて、太炎の顔に十字傷を刻み、妹ソフィーを殺した痛みを忘れぬよう告げた。

 後にユダヤ国建設の悲願が託された「希望の目録」を預かる立場を担うが、その運び屋である流飛燕から戦いを挑まれ、決闘に。だが飛燕の極十字聖拳の前に敗北し、希望の目録(エリカ)を守れるだけの力は無いと判断された。その後、駆けつけた拳志郎に全ての事情を話し、エリカの事を託して絶命した。

 TVアニメ版では、ソフィーの危機を察知し、自らは医者に、拳志郎は看護婦に変装して敵を待ち受けるという作戦を展開。紅華会が放った無数の銃弾を、操気術で全て叩き落すという活躍を見せた。
 また、小民族の馬賊の長達を上海に招くも、それを張太炎に利用され、結果荒くれ者の馬賊達が上海にあふれかえるというシーンなどが追加された。


 『蒼天の拳REGENESIS(アニメ)』では、流飛燕ではなく、ヤサカに襲われるというストーリーに変更。敗北するも一命は取りとめたが、その直後に今度は天斗聖陰拳シメオン・ナギットが現れ、再び敗北。相手の情報を拳志郎に伝えるため、あえて相手のルーアハを喰らい、焼け焦げた跡をその身に残して死亡した。





 現在確認できているキャラクターの中で、アジア人以外で唯一北斗の拳を修得したというレアな人物。ただ彼にとっては北斗孫家拳も「護身術」に過ぎないらしいので、強さとしては各拳法の伝承者達に一歩及ばないだろう。それでも流飛燕との最初の攻防では優勢に立つなど、十分に超人級の強さを備えているようだ。

 しかし彼の凄いところは、拳をそこまで磨きながら、フランス陸軍においても大佐にまで上り詰めているところだろう。まさか軍に在籍しながら拳法を学んでいたとは考えにくいので、門家を出てから(というか師匠が殺されてから)陸軍に入り、若くしてそこまで昇進したということになる。そこには強いコネクションの存在を感じざるを得ない。もともとギーズ達はフランス租界の沙発花園という庭園付き高級住宅街(かつて実際に存在した区)の生まれであり、その生家には父親のバカでかい肖像画も飾られていたことから、かなりの権力者の家柄だったと推測できる。その父親が軍の人間で、その縁あってこそのスピード出世という可能性もあるが、それに加えてユダヤ人協会の強いプッシュもあったのではないだろうか。ギーズが目指していた桃源郷計画は、ユダヤ人をはじめとした流民たちの安息の地を作るための計画であった。ユダヤ人全ての希望を背負ったギーズが、彼らから強い後押しを受けていたとしてもなんら不思議ではない。当時のフランスにおいてユダヤ人の影響力は決して大きなものではなかったらしいが、ギーズの父親が既にユダヤ迫害の流れを予見し、あらかじめ下準備を整えていたのかもしれない。顔を見る限りでは、それくらいはデキそうな人物に見える。原哲夫漫画においてキャラクターの顔はその人物の能力とイコールである(暴論)。


 話を少し戻して、彼の強さに関してだが、ギーズは本当に孫家拳を護身術程度にしか思っていなかったのだろうか。その発言をしたとき、ギーズは「拳法家は自らの肉体を武器に闘い傷ついていく。私にはそれがバカバカしくてならない」と語っている。そのくせ極十字聖拳の使い手が現われた時にはその拳への興味からウッキウキであったし、実際に流飛燕から戦いを挑まれたときも迎え撃つ気満々であった。極十字聖拳の伝説を知っているギーズならば、闘えばほぼ確実に殺されることを理解していたはずだ。「傷つくのがバカらしい」と言った男の行動とは明らかに相反している。それなのに逃げることなく真っ向勝負を選んだのは、拳法家としての本能がそうさせたからに他ならない。
 ギーズの、中国拳法に対する造詣の深さは本物であった。そんな彼が中途半端なままで拳の道を降りたとは思えない。桃源郷計画の実現や、死が殺されるというアクシデントさえなければ、彼は更に拳を磨き続け、「朋友」ではなく「強敵」として拳志郎の前に立ちはだかっていたかもしれない。

 だが拳を極め切れなかった代わりに、ギーズは拳法の新たな可能性を見出した。霊王戦で見せた、操気術で銃弾の軌道を曲げるという銃と拳法の融合である。格闘+銃といえば、映画「リベリオン」に登場したガン=カタが有名だが、もちろんそれは関係ない。映画で例えるなら、手首のスナップを利かせて銃撃することで銃弾を曲げる「ウォンテッド」の方が近いだろう。この攻撃を繰り出した際、宣言通りに額を打ち抜く事はできなかったが、予告されていたにも関わらず、霊王は傷を負って距離をとることしかできなかった。鉄のキブスが無ければ更に酷い傷を負っていた筈だ。
 飛燕がナチスの狙撃を躱した時、拳志郎は「弾道を見切ればかわすことなど造作も無い」と解説している。だが逆に言えば、弾道を見切れない場合は回避は難しいということだ。通常の銃撃ならともかく、操気術で弾道を歪ませられたならば、拳志郎とて手を焼くこと必死なのである。操気術は、狂気を真髄とする北斗孫家拳の中では比較的修得しやすい部類の奥義である。そんな基礎の技に、銃を一丁加えるだけで、北斗の拳士たちを脅かす存在になれるのだ。歴史の中で、弓に代わって銃が台頭してきたのは、修練なしの素人でも戦士となれるという強みがあったからだった。それと同じく、北斗孫家拳が銃と操気術の融合に力を入れ、練度を高めるなり拳士を増やすなりしていれば、北斗神拳と三家拳を巡る構図も一変していたかもしれない。
 だがギーズはそれをしなかった。口ではなんと言おうとも、彼も拳法家のはしくれ。そして誰よりも拳法を愛する男。いくら強く効率的であろうとも、銃に重きを置いた戦い方に身を焦がすなど、自身の拳法家としての精神が許さなかったのだろう。だからこそ彼は、身を護るためだけにその戦法を使うことにした。故にギーズは、自らの北斗孫家拳を「護身術」と称したのだと私は思う。


 ところで作中でギーズが青幇に大量の阿片を横流しし、それを満州国に売りつけるよう言う場面があるが、この展開に関して当時ネットで「捏造で日本を貶めている」と叩かれたことがあるらしい。しかしかつてNHKスペシャルで放送された「日本軍と阿片」の番組内容の中では、これは事実であると報じられていた。阿片戦争後、中国における阿片売買が人道問題となったため、国際連盟内に作られた阿片に関する委員会が監視を行い、そこで日本が厳しく批判されたとの事。国際的な批判が厳しくなってからは、阿片売買を「里見」という民間人にやらせていたが、その事が当時の陸軍の資料にも残っており、また東京裁判で裁かれた戦犯達の罪状にも、阿片に関する罪が入っているのだそうな。しかし、蒋介石支配下の軍閥も阿片で戦費を稼いでおり、当の中国もクリーンとは言えなかったとのこと。
(情報提供:海様)