北斗の拳、原作最終話
ボルゲに瀕死の状態にさせられたバットが
お前は最高の男だったとケンシロウに言葉
を寄せられながら息を引き取るシーン、
ケンシロウが傷に施術的な仕草を見せて
しばらくしてバットが甦る展開は実は
トキが北斗神拳を医療にという願いを
トキが残した伝承書を元にケンシロウが
隠れて医療行為としての北斗神拳を究め不死の
奇跡をもたらしたのではと、これまで強敵の
死を見おくり続けた彼とトキとすぐに人が死に続ける
世紀末の世界にとってもハッピーエンドなのでは
ないかと、だから天のユリアに向けて笑顔を
見せたのではないかと、ちょっと考察的に考えて
みました。
蘇生する秘孔とか書を残したかどうかはわかりませんが、トキが開拓した医療向けの秘孔術がケンシロウに伝えられ、それによりケンの人体治療のスキルが飛躍的に伸び、それがバットの生還に繋がった可能性は大いにありそうですね。サウザー後なら伝授する時間は十分ありそうですし。
トキが死ぬまでにケンシロウに高めた医療向けの秘孔を授けていたでも問題が無い気がします。水影心で一度見せれば伝授終了ですし、北斗神拳の人の心を弄べる性質上世間に広める事は出来ないので文章として残すのは考え難い気がします。トキからケンシロウ、ケンシロウからリュウと伝承としても奇麗に纏まるのではないでしょうか。
ボルゲ編を読む度にこのエンディングが脳内再生されます
あの映像は天帝編を意識して作成されたのでしょうが、ボルゲ編で流すと歌詞も記憶をなくしたリンに対してバットが語ってるようにも聞こえて、より合っている気がします
北斗の拳2最終回で流れた「ユリア永遠に」も、どちらかというとボルゲ編のほうが合っている気がします
北斗の拳2が原作最後までアニメ化されず修羅の国編で終わってしまったのが悔やまれます
2のエンディングっていうからそれこそ最終回のアレかと思ってしまいました。LOVE SONGのことね。あの映像を見てリンではなくバットの心情であると思い至れるのは凄いですね。映像に流されてしまっている自分がいました。ボルゲ編アニメ化は新アニメに期待を寄せていましたがそれ以前の問題が噴出してきているのでどうなることか…
あの映像はバットが頭の中に浮かべてる脳内リンで、彼女のことを思い浮かべながら歌ってるように確かに見えなくもない
ユダがレイにとどめを刺そうと奥義を出す寸前、
「と…とどめだ!!」と何故かどもりますが、理由はなんでしょうか?
何か後ろめたさとかあったのでしょうか?
「とどめだ!!」ではなく「と…とどめだ!!」念願が叶うことに緊張してどもった説
興奮とか葛藤とか色々な感情が入り混じった結果に見えますね
俺のタフさは聖帝サウザーに匹敵しているぞ!
明らかに北斗琉拳とかいう北斗神拳もどきのシャチよりも強いだろう!
だから俺こそが伝承者だ!
シャチの方が判断力が高い感じだし、実力差を認識して出来る手段を考えられるシャチの方がジャギより適性は上でしょう。実力差を理解出来ずケンシロウに伊達にされたジャギとハンの攻撃を往なし逃げられたシャチの差は大きい。シャチとジャギが戦う事になったらシャチは事前にジャギの技や強さを観察、把握して作戦を立てて挑むから勝ちそうな気がする。
北斗の拳はどうなっていたか。
ジャギ=トキが伝承者なので隠棲
ラオウ=勝つには勝つが、貴方にはやるべき事が有ると見逃す。修羅の国は主人公交代でラオウ視点の話になる
シン=ケンシロウが守れなかったユリアを保護、ユリアが覚醒しないと悪魔が微笑む時代なんだとサザンクロス建設
ケンシロウ=見通しの甘さからユリアを失い、ジャギに嘲笑われ、トキに呆れられる
リュウガ=トキが伝承者なので特に何もしない
と思い浮かぶけど、トキ健在の状況下でジャコウが動くか未知数。アミバはラオウ配下になって早い段階でトキに消されるだろうし、トキはケンシロウと違い隠遁しそうにないから天帝軍が勢力拡大できる猶予があるのかどうか。手遅れになってから動くからケンシロウが救世主足りえたのだろう。トキの場合、歴史の陰に潜む悪党を間引く死神で救世主になれない感じ。アヘ顔で死にたくないからで自重する連中もいそうだし、アヘ顔の死に様はケンシロウ以上に情報が広まる気がする。
んなことわかるわきゃあねえだろ
掟に従うなら他三人は拳を封じなければならないのでリュウケンとトキの二枚体制で実行。ケンシロウは自主的に封印して終わり、になりそうな気もする
ケンシロウはトキが伝承者になれば、嬉し気に拳を封じ解放感でユリアといちゃついて油断から野盗にユリアを奪われそうな気がする。最終決戦を作るとしたら未然に防ぐ事も有るトキと悲劇しか生み出せない自分を比較して絶望しトキに嫉妬するラスボスケンシロウ(絶望から哀しみを纏い無想転生修得)と伝承者トキの戦いとか。ジャギは拳を自主的に封じる方向で北斗神拳に代わる武器を身に付ける為、修行の旅に出て極悪の華になりトキに心静かに殺される。
ラオウはトキに見逃されカイオウを倒しカイオウの指名も有って琉拳を継ぎ、拳を封じられずに生き残る。
とちょっとマシな展開が浮かんだ。
執拗なまでにケンシロウを悲惨な境遇にしたい気持ちが伝わってきます。トキは北斗神拳を拳法よりも医学として役立てたいと述べていたので戦闘よりも治療行為をする機会が多くなりそうです。その結果いつしか北斗神拳は暗殺拳としてよりも医療技術として世紀末の人々に知れ渡っていくんじゃないでしょうか。
原作ルートのボルゲやジャギ、スペードは中途半端に痛めつけた結果である意味ケンシロウが種を蒔いたような物だぞ。世紀末でヒャッハー化しているシンはどうかと思うが、時代を分かっていないケンシロウがシンの教育無しに生き残れるかとなると主人公補正で何とかなるだろうけど、遅かれ早かれ誰かにユリアを奪われる気がする。悲劇が有るからこその救世主だからケンシロウが救世主足りえた訳だが、振り返ってみてもケンシロウは救世主以外になれないわ。
文庫版のタイトル文字は明朝版ですが、ラインのタイトル文字はゴシック体でした。気になったのは、白い枠がないのにどうやって文字を張り替えたかです。漫画の吹き出しでしたら白枠があるので張替は簡単だと思うのですが・・表紙は文字が書いてないものが存在して、出版社の都合で文字を直にタイピングできるのでしょうか
でしょうねえその二つに限らず各話のタイトルの入れ方はシリーズによって違いますからね。愛蔵版とかは表紙の頁を省いて話の最初のページにタイトル入れてたりとかもしますし。
ジャギ編&アミバ編の更新お疲れ様です。
リュウケンなどけっこうアレンジされていて楽しめました。
アミバが最初はトキだった説ですが最近だと現在連載している『世紀末ドラマ撮影伝』でもそのような雰囲気になっていますね・・・。
できれば武論尊先生や原哲夫先生に語って欲しいのですが難しいですかねえ・・・。
最初からアミバとして作られていたなら一時期とはいえケンシロウを騙せる程強いとアミバの評価が上がりますがその場合は見抜けなかったケンシロウが節穴ってなるので複雑ですね・・・。
レイは「他の男は騙せても」と言っているのである程度はアミバの演技力は高かったので一応レイのフォローはあるのですが・・・。
個人的にはあれを見て「最初は本物のトキのつもりだった」って解釈に到れる理由がわからんのですよね…背中の傷とかいわば決定的証拠なわけじゃないですか。でも序盤で出てくる決定的証拠なんてものは推理ドラマにおいて殆どがトリックで、逆にその人は犯人じゃないってなるでしょ。アミバがアレを誇らしげに見せてる時点で偽物だろ…って思うのが普通だと思うんですけどねえ。ケンシロウの節穴に関してはどうでもいいかな。節穴だし。
返信ありがとうございます。途中から弱くなっている(ように見える)のに偽物と気付かないのはあの段階でトキが病に侵されているのを知っているから弱っていても仕方がないという判断なのでしょうが最初の攻撃で気付けなかったのは・・・アミバがけっこう頑張ったからなのかケンシロウが節穴なのか・・・判断に困りますね。
ユリア人形の件もシン(と制作スタッフ)が頑張った可能性もあるからコレも節穴判定していいか微妙なんですが・・・でもケンシロウも抜けている所あるから節穴と言われても反論できないなあ・・・。
自分はアミバが自らに肉体強化の秘孔を突いて身体能力をアップさせていた節を推します。ハブやギュウキを強化人間にしたのも自分が突いても安全かの確認であったと。
今回のCGですが、CGにするというのは妥当だとも思います。
原先生は間違いなく「連載当時の絵柄」ではなく「今の絵柄」でのデザインを望まれますね。
今の原先生の絵柄の特徴は大きく
・線が異様に多い
・リアルぽい絵柄だが顔や筋肉の造形が原先生の解釈でデフォルメされておりある意味漫画的
ということです。
そしてアニメーションで求められるデザインが
・線が少ない
・立体的かつ解剖学忠実な造形
です。
なぜかと言うとまず線画多いと、描くのが大変です。アニメーションは枚数を描かねばなりません。
そして線が多いとその分、ぶれて動きが汚くなります。
第二にアニメーションは共同作業ですから、アニメーターの共通概念が必要になります。その時に立体的かつ解剖学に忠実であれば、個人の采配は限られ、原画マン同士で統一化しやすいです。
さらに造形が立体的であれば、動きがキレイになります。
といったことから、現在の原先生の絵はとにかくアニメーションと相性が悪いです。
もし原先生の絵をそのままにデザインしても、あの絵柄ではアニメーターが集まりません。
さらに抜本的には以上の問題があるためまともなスタジオでは原先生の絵柄をそのままにするという選択をしません。つまりCGは妥当なのです。
では作画にするならば、どうするか。それは連載当時の原先生の絵柄を現代のアニメーションに最適化して再デザインすることです。
『うる星やつら』などがその例ですね。
ただ連載当時の絵でもまだアニメーションには不向きな絵ですし、作画内容(アクション)なども重いので懸念材料は多いです。上手いアニメーターなら話は別ですが。
さらに上手い若手(呪術回戦やチェンソーマンなどに参加するような)アニメーターなどは皆新しくエネルギッシュな作品を好みます、上手いベテランは有名監督の劇場作品(宮ア、新海、細田など)に固定で拘束されており、なかなかリメイク企画には参加しません。(リメイクアニメが作画微妙なものが多いのはこういう事情があります。『うる星』もひどいアニメーションでした。)
以上のことを考慮してもCGはやはり妥当です。問題は低クオリティなCGですよね。今は予算があれば素晴らしいCGをある程度実現できます。となると、あのCGの原因は明確ですね。
となるとその予算で作画しても蒼◯の再来(流石にあそこまでにならないでしょうが)になるだけというジレンマがあります。
最近のリメイクだとYAIBAは素晴らしい作画でしたね。ただあれは例外で亀田祥倫という業界トップアニメーターが企画を立て、監督その他アニメーターを集めたという経緯があります。もちろんトップの亀田さんがアニメーターを呼ぶので、集まるアニメーターも同時に凄腕が揃うという仕組みですね。
線に関してはわからんでもないですけど、解剖学に忠実な造形っていうのはどうでしょ?シーンによってはパースを無視して迫力を優先するのが北斗の魅力の一つでもあるので(特に手のデカさ)そこに対しては3Dは向いてないような気がします。作画が相性悪いってのは否定はしませんけど私的には真救世主伝説みたいな感じで十分なので、それでええやんと思っちゃうんですよね。同じことやっても意味がないって判断なのかな…
真救世主伝説の作画をテレビシリーズで再現するのは不可能です!新作北斗のショボいCGの予算感からすると良く見積ってアニメ『イチゴ味』のクオリティにしかならないですよ。
しかもめちゃくちゃ予算と時間をかけても、今は1クール作るのに企画から完成まで5年はかかるんで、KING編しか作れないです!(しかも採算とれないと2クール目なんてないですから)
『うる星』みたいに完結まで実質4クール連続制作だと『イチゴ味』クオリティも厳しいです。
スロットで唸るほど稼いだぜぜこは何処にいったんでしょうね…
うぬぬほ・・北斗も普通にジョジョとかキン肉マンの完璧始祖編みたいに あのくらいのクオリティーの2Dで描いてくれないかね〜と思ってます。
墓標様を見てふと考え付いたことなのですが……。
ウイルスキラー北斗の拳の紹介の中でKタカ氏は、ウイルスキラー北斗の拳の次がウイルスキラーハローキティなのはうさんくさい、驚くほど説得力がない、と書いていましたが、ならば……。
ウイルスキラー北斗の拳とウイルスキラーハローキティとの間に、ウイルスキラーガンダム00でも入れていれば、いくらかうさん臭さが薄れたでしょうか……?
愛参謀様はいかが思われますか?
余談
自分は最近、このウイルスキラー系の後継者というべき、ZEROスーパーセキュリティを導入しました。
いや、ウイルスバスターの契約更新の費用が高すぎるんですよね。ZEROスパは一度導入すれば契約更新しなくていいので財布にやさしいのですが、ここや墓標様を危険サイト扱いされるので、そこがちょっと困りものです。
いや墓標さんとこのお考え儂に聞かれてもわからんよw黒タカさんのキレキレなセンスを理解できるはずもなく
今や個人サイトは結構危険サイト扱いされますよねえ
北斗の拳外伝のアミバ転生伝説ですが、変装能力があるエンゲルスという男が出てくるのですが、元ネタがわかりません。酒場の亭主のジョニーかと思ったのですが、名前があまりにも違いますし,,管理人さんはご存知でしょうか
只のオリキャラだと思ってましたが、確かにあの漫画って殆どのキャラが元ネタあるのでアイツもその可能性ありますねえ。でも私も思いつきません。トキに化けるという点からするとカサンドラで偽物役をさせられてた男とかもいますが全然似てませんしね…
オリキャラのような気がしてきました。ご回答ありがとうございます。