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トヨ



登場:原作(17〜20話)TVアニメ版(11話)
   PS版、真北斗無双、他
肩書:バットの育ての親
CV:鈴木れい子(TVアニメ版)
   達依久子(PS版)
   山中まどか(真北斗無双)
   種ア敦美(DD北斗の拳2)


 バットの育ての母。多くの孤児達を引き取って育てている。井戸が枯渇して他の村人達を去ってしまった後も、この体では旅はできないとして村に残り、一人で孤児たちの面倒を見ている。


 井戸を掘れる人材を求めていたが、その気持ちを汲んでタキが村を飛び出し、ケンシロウやバットを連れて帰還。だがその夜、隣村に水を盗みに行ったタキが殺され、泣き崩れた。その哀しき時代への怒りがケンシロウに力を与え、水脈を遮る岩盤を粉砕。枯れていた井戸に水が蘇った。


 しかしその様子を監視していたジャッカル一味が、ケンシロウ達が村を離れたタイミングを狙って襲来。銃を構えて立ち向かうが、ジャッカルが服に仕込んだ大量のダイナマイトを前に撃つ事が出来ず、そのまま村は制圧。自らも剣で胸を刺された。


 その後、銃声を聞いてケンシロウが駆けつけたためジャッカル達は逃亡。その時間稼ぎとして、子供達にダイナマイトをセットされたため、その内の一人を爆風から守り絶命。最期にバットからの「おかあさん」との呼びかけに笑顔を浮かべながら息を引き取った。




 多くの孤児たちを引き取って育てるビッグマザー。子供たちのために自分は一切水を飲まず、両親を失ったリンにも母親のぬくもりをあたえ、最期はダイナマイトから子供をかばい命を落とす。まさに作中トップクラスの大聖人である。


 故に、彼女の死が北斗の拳における最初の涙腺崩壊ポイントとなった人も多いのではないだろうか。これまでずっとスカしていたバットが、号泣しながら叫ぶ「か…かあさん……おかあさ〜〜ん!!」は中々耐えられるものではない。だからこそアニメ版で「おばさ〜〜ん!」に変更されたのは意味がわからん。北斗アニメの改悪ポイント上位に入る愚行である。


 しかしこのジャッカル編は、トヨだけでなくタキまで命を失うという、かなりの悲劇回だ。哀しい別れって、大体は1エピソードで1回じゃないですか。タキが死んで、ケンが怒りの岩盤割りをしたところで展開としては盛り上がったはず。普通はあそこで打ち止めなんですよ。まさかトヨまで死ぬとは思わないよ。

 しかもその二人ともが、ケンシロウが到着してから死んでいるという所が何ともやりきれない。ケンの選択に落ち度は無いし、仕方がない結果なのだが、それにしたってケンシロウにしてみれば悔しかろう。最終的にはジャッカルに復讐を果たし、大巨人デビルリバースをも倒したが、そんな超人的な力をもってしても救えない命はある。北斗神拳の可能性と限界を同時に見せつけられる、アンビバレントなエピソードであった。





 トヨのエピソードで個人的に好きなのは、『真・北斗無双』におけるリン&バットの幻闘編。北斗の軍時代のリンとバットが過去にタイムスリップし、トヨの村に辿り着くというぶっとびストーリーだ。で、バット達は只の旅人として村を救い、去ろうとするのだが、トヨだけは目の前の若者がバットだと気付くんですよ。ちょっとド〇えもんで見た気もするが、正直これは泣ける。北斗の泣けるシーンてほぼ誰かが死んだときなので、こういう泣かせ方もたまにはいいじゃない。



 逆に微妙だったのが『真救世主伝説 ラオウ伝 殉愛の章』。この作品では、トヨの代役として、マーサという別人のおばあちゃんが登場している。

 おそらく、ストーリー的に「バットの母」は必要だったのだろう。しかし仮にトヨを出して、彼女が死んだりしたら、そこに焦点が集まる。だが映画の主役はあくまでラオウなので、そこからピントがズレるのは好ましくない。だからといってトヨが死なないと、原作改変だと反感を買いかねない。そこで制作陣は、あくまで真シリーズはパラレルだと割り切り、トヨのポジションを「死なない母親」であるオリキャラに挿げ替えるという粗技に出たのだろう。

 しかしなあ、どうせパラレルなんだから、トヨ生存ルートにしてもよかったじゃない。よく知らないおばあちゃんより、別の世界線で生きながらえるトヨの姿を見たかったよ僕は。





 尚、彼女のモデルとなったのは、映画『マッドマックス』に登場するメイ・スウェイシーであろう。主人公であるマックス夫妻の知人で、田舎で農場主をしている老婆だ。
 彼女は暴走族に襲われるマックス夫妻を助太刀するのだが、その族のボスであるトーカッター(ジャッカルのモデル)に対し、銃を持って立ち向かうという類似点を見ても間違いないと思われる。マックス達の息子を助けられずに泣き崩れるシーンも、タキの死に引用されているのかもしれない。