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愛新覚羅溥儀
あいしんかくらふぎ



登場:第1〜4話
肩書:清朝最後の皇帝
CV:家中宏

 清朝最後の皇帝にして、満洲国皇帝。だがその実状は関東軍の傀儡であり、その屈辱の日々によって暗殺を極度に恐れる性格となった。故に金克栄等を隊長とした禁衛隊を作り、常に傍に従えている。

 1935年4月6日、軍艦比叡で横浜港に初来日。日満親善のためという名目であったが、その裏で閻王を自らの禁衛隊に加える事を目論み、兵達に命じて行方を捜索。毒味役の李永健が閻王と繋がっている事を突き止め尾行させるが、その結果を報告されなかったことで怒りを爆発させた。
 その後、赤坂離宮に潜入した拳志郎と対面。朋友である李永健を危険な目に晒した罪で殺されかけるが、その朋友としての拳志郎と李の関係を羨んで号泣。己が最早中原の王ではないことを改めて悟り、最期は闘いの中で死にたいとして拳志郎との決闘に臨んだ。死ぬ間際に拳志郎に短剣を託すも、実際には致命の秘孔は突かれておらず、まだ生きろという拳志郎の意思を受け取った。




 1987年映画「ラストエンペラー」で有名なお方。北斗の拳と蒼天の拳の違いの一つは、こういう実在の人物が登場してくる所だ。蒼天の拳における溥儀の存在は、そういった部分で北斗の拳との差別化を図りたかったという製作側の思いの象徴と言える。
 ただこのド最初に出てくる溥儀が、数ある実在キャラの中でも抜きん出てメジャーであり、以降は大した有名人との絡みがなかったのが残念。無理やりにでも宗武とヒトラーをもっと絡ませられなかったものだろうか。一部からすげえ圧力かかりそうではあるけど。
 ちなみに蒼天の拳の第3話から監修に携わることになった武論尊先生は、溥儀に拳志郎のパンチを受け止めさせて「満州国皇帝、溥儀である!」と言わせたかったらしいが、速攻でボツを喰らったのだそうな。まあ、しゃーない。


 蒼天の拳劇中では、我侭なチキン野郎でありながらも奥底では一国の皇としての漢気を持つお方だが、実際のところはどうだったのか。歴史に疎い方々も私と一緒に軽く勉強してみましょう。

 1906年に生誕。家系的にはあの西太后の妹の孫にあたります。1908年、その西太后の指名により、僅か2歳10ヶ月という年齢で皇帝に即位させられます。しかし1912年、辛亥革命による反乱鎮圧のために、当時は無職であった袁世凱の武力に頼りきりだった清朝政府は、溥儀を退位させて袁世凱を総統に。これにより始皇帝以来続いてきた皇帝による王朝支配が終了し、溥儀は不名誉な形で名を残したことで、皮肉にも映画が作られるほどメジャーになったというわけですね。

 1923年、関東大震災に見舞われた日本に義捐金を送り、その縁もあって北京の日本大使館に庇護を受けることになります。こういった事等から、日本人にも割と人気が高い人物だった模様。来日時には追っかけも多数いたとか。

 1932年に満州国の執政となり、その2年後には同国の初代皇帝に。清と満州という二つの国で皇帝の座に着いた人物は歴史上溥儀しか居ないのだそうな。一方は子供時分で一方は無理やりな独立国家というグレーな記録ではありますけども。

 そして蒼天の拳の舞台である1935年。昭和天皇がわざわざ東京駅まで迎えにいくという異例の待遇の中で来日。京都や奈良を観光してお帰りになられたとの事。もし本当に東京で拳志郎と遭っていたのだとしたら、その後にどこを観光しようとも上の空だったでしょうねえ。ちなみにこの時の溥儀は29歳。拳志郎は30代という設定で描かれているらしいので、年齢的には結構近いのかもしれない。朕は下手すりゃ50代くらいに見えるけど。
 ちなみに蒼天の劇中でもかなり怯えまくっていた溥儀だが、そのピークは1937年頃だったとのこと。あそこから更に恐怖の日々を送ることになるんやね・・・。拳志郎とのやり取りで見せた吹っ切れたような表情は何だったのか。

 1945年、太平洋戦争終戦と共に満州国消滅を宣言。その後は日本への亡命を希望していたが、ソ連軍に捕らわれてハバロフスク強制収容所に収監。5年後には中国共産党に引き渡されて更に9年間収監されることに。囚人生活においては皇族ならではの生活力の無さを露呈しまくっていたとか。まあしゃーない。

 1959年に模範囚として特赦された後は、北京植物園の庭師として働いたりして余生を過ごし、1967年に死去。死ぬ間際には日本のチキンラーメンを食べたいと所望しまくっていたとか。"チキン"ラーメン、か・・・。


 以上が愛新覚羅溥儀皇帝の簡単な生涯となります。単純に教科書でお勉強するだけなら何も思いませんが、こうやって蒼天みたいに特定のキャラクターを思い浮かべながら生涯を追うと、また違った見方が出来ますよね。あの胃腸の弱そうな人が14年間も収監されてよく死ななかったなぁとか。