TOP

喝把玩
かっはがん



流派: 北斗琉拳
使用: シャチ(対 追っ手の修羅)
登場: 北斗の拳(167話)/TVアニメ(125話)/
真北斗無双/リバイブ/モバイル真・北斗無双



 北斗琉拳の奥義のひとつ。高速の両貫手を放ち、相手の頭部(両眉の辺り)を深く突く技。破孔を突かれた相手は、頭部を異形に変形させた後、その場でひしゃげて死亡する。

 シャチが、カイゼル配下の修羅に対して使用。相手の攻撃を筋肉だけで弾き返した後、怯んだその隙に拳を叩き込んだ。








 作中で初めて登場した魔拳・北斗琉拳の奥義であるこの拳。北斗神拳と似て非なる謎の拳の異様さ、凄絶さを伝えるには十分すぎるほどの威力であったと言えるだろう。

 ただ、この奥義を放った後、シャチは北斗琉拳の解説として「琉とは輝く玉!すなわち北斗琉拳とはあらゆる拳法の中で唯一輝く拳、最強無比の拳法なのだ!」と口にしている。実にふわっとした説明であるが、要するにまあ「輝く拳」という事を伝えたかったのだろう。だがしかし、今しがた披露していただいたこの喝把玩からは、仰られるような輝き具合は全く伝わってこない。拳を放った瞬間の手が若干光っているように見えない事もないが、「ヒュッ」「ブオ」といった擬音的に、スピード感を表現したものであるように思える。

 正直、輝く拳というよりも、「北斗神拳とはまた別のグロさやな…」という印象を抱いた人の方が多かったのではないだろうか。





 北斗の拳が、殆ど行き当たりばったりで連載されていた作品であることは周知の通りである。おそらく「北斗琉拳」も名前先行で、当初は設定は固まっていなかったのであろう。連載を続けながら徐々に設定を固めていくという手探り状態。喝把玩や、破摩独指などは、まさにその暗中模索の中で生み出された奥義といった印象を受ける。北斗神拳と似てはいるが、どこかが違う。それを表現したのが、眉の上や目玉を攻撃したり、重力に押しつぶされるかのような潰れ方といった微妙なエグさなのだろう。ただそれを北斗琉拳の性質として紹介してしまうと、あまりに魅力が無さ過ぎる。故に「輝く拳」という、後にどうとでも解釈できそうな設定を付けてしまったのだと思われる。結局、最後まで輝くことは無かったわけだが。むしろ闇だったわけだが。




●違和感の先にある「真の喝把玩」の可能性

 北斗琉拳のイメージが固まっていない状態で、読者に北斗琉拳のファーストインプレッションを与えなければならないという、無茶な大役を押し付けられてしまった奥義、喝把玩。その影響もあったのか、どうにもこの技には違和感を感じる。技としての特性が見えないのだ。



 まず相手の頭部を両手で突いているわけだが、その後の効果の程を見るに、ただ致命の破孔を突いただけのように思える。果たしてその程度の事に、両手を用いる必要はあるのだろうか。
 両手攻撃の場合、防御が疎かになるというリスクがある。また両手攻撃は、片手攻撃よりも肩の分のリーチが失われるため、相手との間合いをより詰めねばならない。リスクは更に高まる。その一方で、両手を使う事によるメリットは全く見えてこない。
 シャチ自身も、そのリスクを理解していたフシがある。相手の修羅は、シャチの筋肉の前に両手の指をバキバキに折られ、ほぼ戦意喪失していた。シャチはその隙を突く形で喝把玩を炸裂させたのだ。言い換えれば、この奥義は格下の相手に対して勝ち確の状況を作った場面で使用されたという事。戦いの流れを見て使用したのではなく、勝利を確信したが故に使用されたウイニングラン。ツールドフランスの優勝選手がゴール手前でするバンザイのようなものなのだ。同格や格上の相手に対しては決して使用する事はできない、俗に「ロマン技」「雑魚専技」「舐めプ技」と呼ばれるような、合理性に欠ける奥義。それが私の「北斗琉拳 喝把玩」に対する評価である。


 北斗神拳でこれに近い存在として挙げられるのが、北斗残悔拳だ。しかしあれには「死ぬ迄の三秒間で相手を後悔に苛ませる」という使用意義がある。が、喝把玩にはそれもない。…いや、作中で描かれていないだけで、もしかすると喝把玩にも何か特別な意味が込められているのかもしれない。シャチがその趣旨を理解せず、ただの攻撃技として用いている可能性もある。言っても彼は、まだ拳の道に踏み込んで日の浅いひよっこ。技に込められた真意まで理解できていなくても不思議ではないだろう。


だがシャチをひよっことするなら、もう一つ別の考え方がある。
もしかしてシャチは、この奥義の真価を引き出せていないのではないか?



突然だが、ここでゲーム作品の中に登場する喝把玩を見てみよう。



 『真・北斗無双』に登場する喝把玩は、両手に纏わせた闘気を突きと同時に放出し、前方にいる複数の敵を吹っ飛ばすという技となっている。いかにも北斗無双らしい、盛りに盛った性能である。




 『北斗の拳 LEGENDS ReVIVE』の方では、原作とほぼ同じモーションであるが、奥義解説には「両手に闘気を溜め、素早い貫手で相手を突く技」とある。実際、突いた瞬間に闘気のエフェクトが迸っている。


この二作品に共通しているもの。それは原作の喝把玩には確認できない「闘気」という要素に触れていることだ。これを根拠にというわけではないが、発想としては面白い。喝把玩の真髄は、実は「闘気」にあるのではないか。つまりシャチの使った喝把玩は、いわば型だけを模した劣化版。本来は破孔突きではなく、真無双のように闘気を飛ばして攻撃する技なのではないかという事だ。

 もともと北斗琉拳は、闘気の扱いに長けた拳だ。だがシャチは、その使い手であるにもかかわらず、闘気を用いた攻撃を不得手としているように見える(使っている描写が殆ど無い)。そんなシャチが使ったからこそ、本来は闘気技である喝把玩の真価が発揮されず、合理性を欠いた「突き技」に姿を変えてしまった。そんな裏事情があったのではないだろうか。
 そう考えた場合、両手突きである不自然さも無くなる。天将奔烈だって白羅滅精だって両手で闘気を飛ばす攻撃だからだ。また、そもそもの間合いが変わってくるので、防御面を考慮しないのも当然と言えるのだ。


 もしシャチが羅将クラスに闘気を扱える拳士であったなら。そしてそれが魔闘気ではない、レイアへの愛から生まれしものであったなら。シャチの指先からは、眩いばかりの闘気が放出され、その拳は彼の言う「輝く拳」となっていたのかもしれない。