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魏瑞鷹
ぎずいよう



登場:第103〜133話
肩書:極十字聖拳創始者 流飛燕の師
流派:極十字聖拳

 極十字聖拳の創始者。流飛燕彪白鳳の師。

 かつて劉玄信の下で北斗劉家拳を学ぶも、北斗神拳との闘いを許されなかったため、門下を出ることを決意。その際、脚に毒矢を受け、その程度では北斗神拳には勝てぬと諭されたが、ありがたき教えだとして右足を切り落とした。その後、極十字聖拳を創始し、北斗神拳伝承者・霞鉄心と対決。ほぼ互角の戦いを繰り広げたが、自らが義足である事を鉄心に惜しまれ、決着は互いの弟子に残す事となった。

 その後、貧乏を憎む彪白鳳と、彼が連れてきた流飛燕を弟子とし、極十字聖拳を伝承。物語上では既に故人となっているが、何時頃死んだのかは不明。

 かつて幼き劉宗武より闘いを挑まれたことがあり、相手が幼かったために勝できたが、同じ世代を生きたなら早死にしていただろうと語った。




 田舎訛りや浮浪者が如き風体という三枚目キャラに騙されがちだが、実はメチャクチャ強いですよねこの人。だって先代の北斗神拳伝承者と紙一重だったんですよ。しかも義足でですよ。この時代の義足なんて、ファルコのと比べてもかなりお粗末なものだろうから、相当なビハインドでしょ。それでほぼ互角ってヤバないすか。作中で語られている通り、先代劉家拳伝承者の劉玄信よりも上だし、拳志郎によると飛燕もまだ彼の域には達していないらしい。飛燕より上なんですよ。これでもし五体満足なら本気で拳志郎・宗武クラスに匹敵する強さになってたはずですよ。ヤバないすか。

 彼の天才ぶりがよくわかるのが、極十字聖拳を一代で創始しているところだ。北斗劉家拳という最高のベースがあるとはいえ、二つの拳はあまりにも違いすぎる。劉家拳がほぼ北斗神拳の色を残した拳であるのに対し、極十字聖拳は南斗聖拳を髣髴とさせる斬撃の拳。つまり北斗の拳で「男と女」だの「仁王象の阿と吽」等に例えられるほど、全く逆の拳法へと変貌させているのだ。極めきった北斗劉家拳を解体し、全く別の拳法としてイチから組みなおしているのである。
 更に驚くべきは、彼が劉家拳を出たときと、鉄心と対決したときの二つを見比べても、ほとんど容姿が変わっていない所だ。つまり彼は、極十字聖拳を組み上げるのに5年もかかっていないと思われるのだ。そんな新装開店状態で、1800年の老舗とやりあって互角というのだからとんでもない。しかも若くして北斗神拳を組み上げたシュケンと違い、瑞鷹は劉家拳を出た時点で既に30を大きく超えた年齢であるように見える。拳士としてピークを過ぎた年齢から、全く別の拳法をイチから作り上げ、再びあそこまでの強さを獲得しているのである。これを天才と呼ばずしてなんと言おうか。

 しかし、瑞鷹はなぜ極十字聖拳を創始したのか。いや、劉家門を去る必要があったのか。彼の望みは北斗神拳に挑んで自らが最強になることであった。ならばあのまま劉家門に留まり、天授の儀を行っていれば、師・劉玄信から咎を受けることなく北斗神拳伝承者と戦えていたはずだ。それを拒んだということは、彼には劉家門を去らねばならない理由があった・・・劉家拳を捨てる必要があったという事だ。
 おそらく瑞鷹は、劉家拳では北斗神拳に勝つことは出来ないと考えたのだろう。それは、天授の儀にて劉家拳が一度も勝利していないという歴史が証明している。いくら天才と呼ばれた自分でも、この1800年にわたる検証結果を覆すことは難しい。ならば自らが選ぶべきは、このまま劉家拳を磨くことではなく、北斗神拳を倒しうる新たな拳の創設だと結論付けたのだ。

 一人の天才が拳法家としての人生をかけて編み出した拳、極十字聖拳。結局、北斗神拳を超えるという悲願は果たされず、しかも二代で途絶えることになってしまったわけだが、瑞鷹に悔いは無かったであろう。ひたすら拳の道を歩み続けた己と違い、弟子の二人は、自らが授けた拳でそれぞれ生きる道をみつけることができた。特に飛燕は、自らと同じような死鳥鬼としての生き様を、エリカとの出会いによって救われた。師父としてこれほど嬉しいことはなかったであろう。そして、飛燕は否定していたものの、彼が拳志郎に敗れたことで極十字聖拳が未完成の拳であることが証明された。その事実は、瑞鷹にとってはむしろ嬉しい結果だった事だろう。あの変人のことだ。きっとあの世で極十字聖拳を超える最強拳の創設に乗り出しているに違いない。