
杜天風が死んでから暫くの後―――。
そしてもう一人、北斗の神は、西斗のヤサカまでをもこの地へと呼び寄せていた。闘いを前に護摩行を続ける宗武に近付き、その命を奪おうとするヤサカ。だがその宗武の姿を見た瞬間、ヤサカから侮りが消えた。頭髪を剃り落としたその容姿、圧倒的に増した闘気も、以前の宗武のものではなかった。彼を変えたのは、目前に迫る拳志郎との闘い―――。それを為すまで死ぬわけにはいかないというその思いが、宗武を大きく変貌させていたのであった。精気を取り戻し、闘神の域にまで達した今の宗武には、ヤサカの邪拳など通用するはずも無かった。この男であれば、北斗神拳1800年の歴史も葬れるかもしれない。天授の儀を見届けたいという欲求に駆られたヤサカからは、もはや宗武と戦う意思は消え去っていたのだった。
泰聖院の遥か上空に浮かぶ光の世界が、この天授の儀の決着の舞台であった。だが二人は、対峙したまま動こうとはしなかった。先の先を読みきり、己が死ぬ姿を何度も想像した二人は、もはや動く事ができなくなっていたのである。だがその間合いが死線を越えた瞬間、遂に勝負が動いた。放たれる拳志郎の一撃。それを左掌で受け止める宗武。その瞬間、勝利を確信した宗武であったが、まだその拳は死んではいなかった。拳志郎の魂魄の拳は、宗武の掌を通り抜けるかのように貫通し、その顔面へと叩き込まれたのであった。
何れかが死ぬるまで勝負は終わらない―――。決着をつける拳志郎の一撃が、宗武に向けて放たれる。だがその瞬間、一同は奇跡を目にした。幻のように現れた女人像の手が、拳志郎の拳を止めたのである。これ以上の攻撃は処刑……だがやめれば宗武の誇りが汚される。女人像は、闘いを止められぬ二人にかわり、宗武の命を救う事を選んだのであった。それは、宗武がその敗北の中にも美しさがある事を知ったからであった。
北斗神拳の日本への伝来……織田信長の最期……前世が目にしてきた数々の歴史が、拳志郎の中に流れ込む。その中で最期に拳志郎が見たのは、かつて悲しき別れを果たした、霞鉄心と月英の姿であった。生まれたばかりの自分を抱く母・月英の姿……それはまさしく、若き日の美福庵主に他ならなかった。改めて"親子"としての再会を果たし、流れる涙を抑えることなく抱擁しあう二人。阿星、と自らの名を呼び続ける月英に対し、拳志郎はただ一言応えた。「かあさん」と――――。
真実を知ってもなお、ヤサカは拳志郎との闘いを止めようとはしなかった。偽りの怨みで流飛燕を殺してしまった罪……それを償うには、己の死による決着しかないと考えたのである。だが、拳志郎はヤサカを殺そうとはしなかった。彼にはまだやるべき事が残されていた。シュケンが眠る勾玉を、ヤーマが眠る地へと送り届ける事―――。愛し合う二人の魂を今再び結びつける事が、ヤサカに残された最後の役目であった。
自分は許されたのか、許されなかったのか、釈然としないまま、ヤサカは青幇達の会食の席へと招かれる。だがそこで待っていたのは、青幇抹殺を狙う刺客たちの襲撃であった。銃を手に取り囲む男達を、一瞬にして撃退する拳志郎。そしてそれを涼しい顔で見つめる玉玲たち。彼らにとってこの光景は、普段と変わりない、いつも通りの日常であった。1930年代の上海。命が軽いこの魔都で、彼らの物語は今日も紡がれてゆく―――。
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| ≪ヤサカ編 |