本日を以って我がホクサイも・・・って毎回同じ事言ってるような気がしますが
とにかく目出度く喜ばしく、
13執念を迎えることができました。
そして早速ザク様から記念画像を頂きました。
ザ・古川ーズって感じですね。
こうやって考えると、いい役貰ってるなぁ古川御大は。主人公より人気ありそうなところばっかじゃないですか。(GTも含めたら)全員死んじゃってるのが、なんか切ない所ではありますが。
いつもの如く、素晴らしい画像を有難う御座いました。
さて、ここ数年は「何周年企画」だとか銘打っていろいろ行ってまいりましたが、今年は特に良いネタが思い浮かばなかったので、何もありません。
その代わりと言っては何ですが、4月頭からの一週間、東北旅行に行ってきましたので、そのレポでも晒してお茶を濁してみようかと思います。
全ては数年後に自分が回顧して懐かしむために書いたものであり、北斗と全く関係のないこんなもんを他人が見ても面白いわきゃないのですが、今年もさりとて目を引く北斗情報がないという現実を鑑みると、こういうフツーの事を書いていく流れになるのも仕方のないことなのではないかなとは思います。
まあ花の慶次にはちょっと関係ありますので、それだけでも愉しんでいただければ。
東北・北陸隠遁記(1)
-BRIEFING-
三月初旬、一週間の東北旅行が決定した。友人との二人旅だ。
旅の大きな目的は、
被災地を一目見ておきたいという友人の意向。私はただの付き添いと言うか、バーターというか、ドライバーというか、そんな感じだ。まあ私も一人の人間として、あの災害の傷跡を目にしておきたいという思いは当然あるのだが、二人とも目的が同じとなると、旅の幅は広がらない。というわけで私は私なりに違う目的を持って参加することにした。
・・・しかし目当てとなるようなものが見つからない。食に関してはいくつか気になるものはあれど、肝心の観光地に目ぼしいものがない。いや、あるのだが、私に興味というものが沸いてこない。歴史や風情といったものにほん疎遠な私には、東北は難易度が高すぎるのだ。
しかし地図で地名を眺めているうちに、あることを思い出した。
米沢って・・・・・慶次が晩年を過ごしたとこじゃ?
そうだそうだ。花の慶次の最終話に描かれているじゃないか。
義風堂々で慶次が酒を呑んでるあの無苦庵も米沢だ。
ついでに帰り際に通る金沢なんかは花慶のメインスポットじゃないか。
というわけで私の旅プランは
『花の慶次ゆかりの地を巡る旅 in東北・北陸』
に決定した。
ただ断っておくが、私には
花慶の知識はあっても、歴史の知識は殆ど無い。
故に文中で相当的外れな事をのたまっていると思うが、そこは御容赦願いたい。
4月2日
朝六時半に家を出発。知り合いのレンタカー屋の方から
一週間二万八千円という超格安でレンタルさせてもらったスズキのソリオに乗って、福井県の敦賀港へと向かう。ここから秋田行きのフェリーへと乗り込み、向こうでもこの愛馬に跨って朱槍を振るう予定だ。
敦賀といえば、花慶二十四話で慶次が訪れている場所でもある。天正十六年二月、慶次は、この地で初めて捨丸と出会い、旅を共にするようになるのだ。
出発前に早速花慶ゆかりの地に訪れる事が出来た。いい感じだ。ま、ここは別に初めて来たわけではないのだが。
午前十時、旅客フェリー「すずらん」に乗船。
あとは到着までの19時間を只ひたすら持て余すのみ。
余りにも暇なので、船内の劇場で上映されているアニメ作品を見ることに。
怪盗グル―の月泥棒という鶴瓶が主役のアテレコをしている3Dアニメであったが、直ぐに酔ってきたので、30分で退席。やはり船は苦手だ。
その後暫くはベッドで回復を待っていたが、ふとした瞬間に
財布が無い事に気付き顔面蒼白に。いろいろ探し回った挙句、まだアニメ放映中の劇場内にて無事発見に至った。もし映画が終了していて館内が明るくなっていれば、誰かに持ち去られていたやもしれぬ。中には3万程しか入っていなかったとはいえ、免許証の事なども考えると、その後の旅の予定が大幅に狂っていた事は間違いないだろう。別に何一つプラスになったわけではないのに、出発前にえらく得をした気分になり、思わぬ最高のスタートとなった。
翌日は有無を言わさず朝5時に下船させられるため、夜10時に早々に就寝。
尚、この日のMVPは、「私がカフェの店員と温泉卵について話していたところにやってきて「スプーンください」と言おうとしたが、私等の会話に釣られ「温泉卵ください」と間違って言ってしまったおばちゃん」に決定した。
4月3日
これは完全に7時間睡眠の寝起き!という確信を持って起床。しかしケータイの時刻が示していたのは、まさかの
0時過。実質睡眠時間2時間。まだ消灯時間すら迎えていない。
それでも普通なら「まだ5時間あるしもう一度寝よう」となるのだが、私はこのとき既に
もう自分が二度と寝つく事が出来ないであろう事を悟っていた。それほどまでにこの2時間の睡眠が深かったからだ。
その予感は見事に的中し、消灯時間から着港時間までの5時間、私はただベッドの上で悶絶し続けることしか出来なかったのであった。最高のスタートとは何だったのか。
ならば友人に運転してもらい私は仮眠をとればいいだけの話なのだが、友人の方もこれまたロクに寝れなかったらしく、おまけに彼は数ヶ月前に
イネムリウンテンという秘術でハイシャというものを練成した錬金術師であるので、とてもこんな状態で運転を任せられる人物ではないのだ。痛ましい事故が頻発している昨今においては尚更笑えぬ事態である。てなわけで、とりあえずは私が運転することにし、どこかで仮眠をとるという方法でこの危機を乗り越える事となった。
その後、車積フロアにまさかの
牛積用ウイング車が同乗しているというアクシデントに見舞われ、出発前に車内が強烈なケモノ臭に覆われるも、なんとか無事、みちのくに上陸を果たしたのだった。
スタート地点は
秋田。
ギバちゃん(&室井管理官)の出身地、あとは
あきたこまちと
きりたんぽと
なまはげといった、ひらがなネームなブツばかりが有名なイメージがある場所だが、ともかくここが旅の始まりの地だ。
というわけで早速そのアリアハン的存在の街を観光したいところであったが、時刻はまだ日の出直後の
朝五時半。こんな時間から廻らせていただけるような観光施設などありはしない。かといってこのまま何もせずに秋田を後にするのも忍びない。このままでは友人に旅の思い出を話すとき、秋田での土産話がゼロになってしまい、結果それは「秋田はつまらない地」という悪い印象を世間に広めてしまう事になるからだ。我々は秋田人のためにも、何かこの地に傷跡を残さねばならないのである。
フェリーを下船して直ぐに、なにやら見覚えがある建物が視界に飛び込んできた。この全面ガラスばりの建物はそう、
正月の『トリビアの泉SP』で、巨大ペッタン人形の実験をやっていたタワーだ。が、やはりこんな時間から開いているはずもなく、断念。中には例の高橋克実を模したペッタン人形も展示してあったらしいのだが、まあ仕方ない。
とりあえず朝イチから既に空腹状態であった我々は、下調べで見つけておいた、
秋田市民市場なる場所に行く事にした。朝五時からやってらっしゃる超優良施設だ。訪れてみると、フェリー内で見かけた顔もチラホラと見受けられた。やはり他に行くべき場所がなかったのだろう。考える事は大体皆一緒のようだ。
実はここ、関西ローカル番組である「
ごぶごぶ」の正月のSPにてハマタと東野が訪れていた場所で、その時に二人が入った回転寿司屋で朝食を食べるというのが私の目論見だったのだが、流石に朝六時ではまだ開店していなかった。この時点で、ハナから市場などには微塵も興味がない私にとってこの場所は何の用事も無い所へと変貌したため、唯一やっていた小さな定食屋に入り、何のカツだか良く解らないミニカツ丼を掻き込み、さっさと先を急ぐことにしたのだった。傷を残すのはなかなか難しい。
一時間ほど走り、
角館(かくのだて)という地に到着した。ここは
武家屋敷が有名らしい。武家屋敷が何なのかもいまいち良く解らないし、解ったところで堪能できる自信もないのだが、折角通りがかったのだから寄らないという選択肢はないだろう。
武家屋敷は細いストリートに建ち並んでいるとのことなので、車を停めて散策。暫く行くと、
安藤醸造元という店を見つけた。1800年代半ばから続くという伝統ある味噌・醤油の店だ。
下調べにてここの鳥まんと豚まんが美味いという情報をゲットしていたので、それだけでも買えればと思い入店。だがそんな私の軽い気持ちとは裏腹に、この店の女将達は、本日の客第一号である私に過剰なまでの接待攻撃を開始してきた。暖かい部屋へと通され、あれを飲めこれを食えとあらゆる物を試飲試食させてくる女将達。その後も奥の蔵へと通され、素晴らしい出来の雛壇などを鑑賞させてくる女将達。そうこうしている内に、角館の予定滞在時間を大幅に超えてしまった我々は、店で適当に買い物を済ませ、結局武家屋敷を一つも見ることなく角館を後にしたのだった。
なお、鳥まん&豚まんは無かった。
秋田の最後の立寄スポットは、
田沢湖。たつこ像なる金ピカの女人像が有名な、水深日本一の湖であるらしい。
標識に導かれるがままに車を走らせ、ものの十数分で湖畔に雪の残る美しい湖へと到着。しかし、ここで異変に気付く。
たつこ像が無いのだ。予定通りなら、湖にぶつかって直ぐに直面していなければならないのである。
事態を把握するため、ケータイで自分達の位置を確かめたところ、どうやら我々は、
想定していた所と間逆の湖畔ポイントに辿りついていたことが発覚した。本来なら湖の西側に出て、そこにあるたつこ像の視認した後、湖を半周しながら東の方へと抜ける予定だったのだが、そのゴール地点である東の湖畔へと出てしまっていたのだ。おそらくは角館での試飲試食攻めによる眠気誘発、それに基くテキトー感が原因であろう。
この心のエアポケットを埋めてくれる何かはないかと辺りを捜索したところ、湖の傍にある観光客用の施設の中に、
「秋田犬とふれあえる店」といった文字を発見。猫よりも犬派である私にとっては願ってもないイベントだと思い、顔を綻ばせながら駆け込むも、そこにいたのは
拳王様ばりに眉間の縦皺を走らせた気だるさ120%の御犬様達であった。此奴等がどれだけの哀しみを捨てて生きてきたのか、私には量りかねない。
かくして秋田に傷跡を残そう絆プロジェクトは完全なる失敗に終わったのだった。
正午を回る前に、早々に
岩手県へと突入。ちなみに、ここまで走行したのは秋田市と盛岡市をほぼ最短で繋ぐ
国道46号線だったのだが、この道路が
兎に角酷かった。あれだけ穴ぼこだらけの国道は未だかつて走った事が無い。俗にいう「酷道」というやつなのだろう。東北の道は全部こんなんか!と不安に駆られたが、以降の旅行中ではこれほど酷い道には遭遇しなかった。ボロボロの原因は、おそらくはチェーンの所為なのだろうが、それは他の道路も同じなのだから、ここだけが酷い理由にはならないだろう。もしバイクで東北ツーリングに行こうと考えておられる方は、この道には注意されたほうが良いかもしれない。
岩手に入っての最初の訪問地は
小岩井農場。日本最大の民間総合農場だ。だっぴろい農場の中に観光客用のまきば園があり、動物と触れ合ったり、レジャーや体験、飲食など、様々な事が出来るのがウリだ。
何故私がここを訪れたのかというと、
小岩井乳業さんに日頃大変お世話になっているからだ。小岩井さんのコーヒーや果汁入清涼飲料水はハッキリ言って他社の製品を遥かに凌駕しており、普段から愛飲させて頂いている。その感謝の意をこめて、一度訪問してみたいと考えたのである。
ただ、
小岩井農場と小岩井乳業はとうの昔に別会社となっており、今は殆ど関係ないらしいのだが、まあそんなことはいいじゃないか。ブルガリアヨーグルトが大好きな人が、勢いでブルガリアに行っちゃうことだってあるだろう。多分。
まきば園のほうはまだシーズンではないらしく、園内の半分は雪原のままであり、施設も多くが閉じたままになっていた。
「俺の妻を返せー!」とか
「あばよ北斗の男」とか言いながら弓を撃ってみたり、飲むヨーグルトのあまりのプレーンさに驚いてみたり、数時間前のフェリーでのトラウマから牛舎に近付く事ができ無かったりした私は、土産だけを購入し、そそくさと園を後にしたのだった。
とりあえず「小岩井」というのが三人の創設者の苗字からとったものだという知識を得れただけで好とする。
昼過ぎに
盛岡市街へと突入。
とりあえず腹が減っていたので飯にしたかったのだが、道中にひとつ気になる場所があったので先にそこへ。
光原社という、かつて
宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版した会社だ。現在は和な工芸品を売る店になっているのだが、奥の中庭に、宮沢賢治関連の資料が展示された倉があり、そこを少し見学した。
因みにこの店や、街のいたるところで
「イーハトーブ」なる単語を目にしたのだが、これは賢治が岩手(をモチーフにした理想郷)の事をそういう風に呼んでいたとされるもので、要するに岩手の事らしい。・・・これって結構一般常識なの?
さて念願の昼飯。訪れたのは、
白龍(パイロン)なる
"じゃじゃ麺"の店。盛岡と言えばわんこそばを思い浮かべる人が多いだろうが、ガイドブックなどによると、それに「じゃじゃ麺」「冷麺」を加えた3つが
盛岡3大麺と呼ばれているのだそうな。とすれば、勿論ここは一番味の想像がつきにくいじゃじゃ麺を食べるのが正しい選択といえよう。
白龍さんは、じゃじゃ麺の元祖店であり、今でこそじゃじゃ麺を出している店は多いものの、厳密には
この店のじゃじゃ麺こそが真のじゃじゃ麺であり、他店のはじゃじゃ麺もどきに過ぎないとまで言われている程の店なんだそうな。その格を顕すかのように、昼食時を過ぎていたにもかかわらず、店は満員御礼であった。
20分ほど待ってなんとか着席。茹でた平打ち饂飩麺に胡瓜と葱がトッピングされ、その上にドンと乗せられた特製の味噌を上手いこと混ぜ合わせて食す。それがじゃじゃ麺という食い物の正体であった。名前や見た目からしてジャージャー麺に近いものだろうと思っていたのだが、味は全く別物。間違いなく初めて食べる味だ。ハッキリ言って味にはまるで期待していなかったのだが、予想より遥かに美味しかった。
ふと横のテーブル席をみると、やけに体躯の良い女がじゃじゃ麺の大サイズを頼んでいた。今から思えば多分オカマだろう。かなりの物量だったので、食いきれるのかどうか気になっていたのだが、こいつがまあケータイをず―――――――っとイジったまま、全く箸をとろうとしない。おそらく注文が来てから5分以上は、その山盛りの皿を無視し続けていただろう。そしてやっとケータイを閉じ、食べ始めるかと思いきや、店員を呼んで一言
「酸っぱい系が苦手なんで上の味噌を半分に減らして」
帰れ!!!!!
満腹になったことで、いよいよ睡魔が最盛期を迎えようとしていたため、盛岡市郊外のサンクスに車を停めて仮眠タイム。約45分の睡眠であったが、それは凄まじい勢いで私の霊力を快復させた。初代熱血硬派くにおくん(SFC)の「ねる」コマンドの有効性を改めて思い知る。
盛岡から真っ直ぐ南下し、やってきたのは
花巻市。訪れたのは―――またしてもケンジ。
宮沢賢治記念館だ。賢治ファンなら御存知であろうが、この花巻こそが宮沢賢治の故郷、賢治の聖地なのである。
さて、先の文章で既に気付かれた方もおられるだろうが、正直私は
宮沢賢治に殆ど興味がない。というより知らない。生まれてこのかた賢治の作品は
「セロ弾きのゴーシュ」しか読んだことがないからだ。銀河鉄道のやつや、注文の多いやつすら読んだことがない。いや、読んだことはあるかもしれないが、1_も記憶に残っていないのだ。この賢治ゆかりの地巡りは100%友人の意を反映したもので、私は完全に空気なのである。
だからと言って賢治作品に触れることについては吝かではないので、折角だからここで賢治ワールドを体感せんと、こういう施設にありがちなミニシアターで作品を愉しむことに。選んだ作品は
「ツェねずみ」。10分にも満たぬショートストーリーであったが、要約すると、
「弁償!」が口癖のキチガイ鼠が最終的に死ぬという話であった。
もうひとつ、記念館に隣接するような形で
「宮沢賢治童話村」なる施設もあったのだが、閉館時間を過ぎてしまっていたため断念。しかし本日はこのまま花巻に泊まることになっているので、翌日にまわすことに。
この辺りから若干壊れ始めた我々は、いつの間にか
カーナビの音声にローラのモノマネで返答するようになっていた。
宿に行く前に風呂と飯を済ませんと、20キロほど離れた所にある
花巻温泉郷へ。たかが風呂の為に走るには結構な距離だが、500円で素晴らしい風呂に入れるという情報を得ていてため、時間と体力とガソリン代を駆使しても行くべきだと判断したのだ。その前情報通り、到着した「
大沢温泉」は、素晴らしい温泉施設であった。ただ、館内の電気は全て消えていた。臨時休業という事務的な張り紙が、我々に哀しい現実を突きつける。館が想像より遥かに絢爛であった事が、その哀しみを倍化させていた。
その後、予備のためにピックアップしておいたもうひとつの温泉施設へと赴くも、入浴料を備え付けの箱に投入するという客の善意に任せたシステムのチンケな所であり、やはり前者の温泉との落差に我々の哀しみは拭えなかった。なんか湯が超熱かったし。
流れというものはやはり存在するのか、ミスは重なるもので、晩飯にと考えていた蕎麦屋も本日休みである事が発覚した。宮沢賢治が足繁く通い、
天麩羅蕎麦とサイダーをセットで頼んでいたという店だというので、全く同じ事をしてみるつもりだったのだが・・・残念だ。まあその組み合わせは正直どうかと思うので、ある意味ラッキーしたかもしれぬ。
仕方が無いので別の蕎麦屋を探し、遅めの晩飯。何故蕎麦屋に拘るのかというと、盛岡名物との印象が強い「わんこそば」だが、実際のところはこの花巻が本場だという説の方が根強いのだそうな。というわけで盛岡で食べ損ねたわんこそばをここで食っちまおうという考えだったのだが、わんこそばには必須である座敷の席が、どこぞの歓迎会的なもので貸しきられていたため、夢は叶わなかった。まあ
後ろから蕎麦を注がれるだけでプラス2000円というのは正直どうかと思っていたので、別にいいのだけれど。
尚、座敷の声は我々にもダダ漏れだったのだが、
15秒に一回くらいの割合で「ケンジ」という声が聞こえてきていた。凄いなこの街は。呑みの席の話題まで宮沢賢治なのか。それともただイジられキャラのケンジ君がその場に居ただけなのだろうか。
夜八時。本日の全ての予定を終え、やっとの事で宿に向かうが、ここで想像だにしていなかった敵と遭遇した。
爆弾低気圧。
昨日今日とテレビを見られる環境に無く、殆ど情報を得られていなかった私達にとって、まさにこやつの登場は青天の霹靂。見知らぬ地の夜の道路というだけで不安なのに、そこに強烈な雨風による視界悪化は、中々の難易度だ。実際、この日の晩には東北でも数人の死者が出ていたことを後のニュースで知った。
数年ぶりの旅行だと言うのに何故こんな極めて発生が異例なブツとぶつからねばならないのか。しかしまあ、本日の全ての予定を終えてからの登板という事を考えると、まだ運が良かったと言えるかも知れぬ。
風雨がピークを迎えた頃、ようやく本日の宿「
ケンジの宿」に到着。宿まで宮沢賢治関連という異常なまでのこだわりをみせるが、宿自体は思ったほどケンジケンジしていなかった。ケンジの名を拝借した宿なのだから、寝室に宮沢賢治関連書籍を置くなどしてくれても良かったのではないかと思う。
てな感じで、東北初日にして旅中で最も忙しなかった一日が終了した。おそらく一日分の日記の長さとしてもこれが最長となるだろう。正直言って死ぬほど疲れたが、これこそが旅行のあるべき姿だと思う。過去の北海道旅行で
札幌から襟裳岬まで移動するために一日中運転を強いられた大失敗プランが、いい教訓となっていることは間違いない。そういう意味では成長していると言えるが、思えばあの時も2時間睡眠でのフラフラ運転であった。やはり、まるで成長していない。
続く