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北斗の拳(セガサターン版)







1995年12月22日にバンプレストより発売されたセガサターン用ゲームソフト。アニメーションで進行するストーリーを進めながら、遭遇する敵とコマンド入力式のバトルを行い、勝ち抜いていく。1996年8月30日にはプレイステーションにも移植された。

 物語は原作終了後を舞台としたオリジナルストーリー。拐われたリンを取り戻すため、蘇った第三の北斗「北斗無明拳」を相手にケンシロウが闘いを繰り広げる。その他にも新たな南斗、元斗の使い手や、原作でもお馴染みのキャラクター達も登場するなど、その顔ぶれは多彩。しかし原作で死んだはずのリュウケン、トキ、黒夜叉、ジュウケイ、黒王までが平然と登場したり、原作終了から10数年経っているのにバット達が若いままであったりなど、様々な矛盾点が見られるため、パラレルワールドとしての認識に留めて置くのが正しい愉しみ方であろう。
 オリジナルキャラとして登場するのは、サウザーの子供であるザキとギャラン、ファルコの遺児ミッシュ、北斗宗家の血を引くホシムとゼンオウといった面々。なかでもミッシュは「北斗の拳4 七星覇拳伝 北斗神拳の彼方へ」にも登場したキャラクターであり、コアなファンには嬉しい復活だと言える。ファルコの子という以外は別モノの設定ではあるが…。


 ゲームとしては、あらゆる北斗ゲームの中でも群を抜いてつまらない出来だと断言できる。プレイヤーはバトル以外に操作する事はないのだが、その唯一の要所であるバトルが全く面白くないのだから救いようがない。強い奥義を連発しておけば大概の敵は倒せるので、戦略性もほぼ皆無に等しい。せめて移動シーンにアドベンチャー要素を加え、次戦までに体力や闘気を回復させる要素などでも盛り込んでおけば多少ゲーム性は出たと思うのだが…。
 アニメーションも決してレベルが高いとは言えず、作画も酷いのだが、ゲームのムービーとしてはその長さは驚異的であり、"見るゲー"としては評価してもいいと思う。ただ問題はそこではなく、そのムービーやバトルの間に挿入される"歩き"シーンにある。ケンシロウがただ黙々と歩き続ける様を、何の操作も許されず、ただ一分近く見さされ続けるのだ。一体何を思ってこんな演出をしたのか、理解に苦しむ。
 BGMに関しても良い悪いの次元ではなく、単純に「少ない」。特にバトルシーンで一切音楽が無いというのは酷すぎる。確かにまあ攻守が激しく入れ替わるシステムなので、チャンス時とピンチ時で音楽をコロコロ変えるというのも忙しなくてどうかと思うが、だからといってBGM無しにしてしまうというのは逃げ以外の何者でもなかろう。

 細かい部分ではあるが、セガサターンをプラットフォームにしながら、再開が「パスワード入力式」になっているのも大きな特徴のひとつである。これはパスワードを秘孔にすることで、入力する度に「あたっ」と言わせたかったという目論見もあろうから、まあわからんでもない。しかしバトルモード(二人対戦)をプレイするときにまでパスワードが要るというのはいかがなものか。本編を全クリしようとも、バトルモードでキャラクターを使うには、パスワードを入れなければならないのだ。そこまで手間をかけてこんな糞つまらないシステムの対戦バトルをしたいと思うプレイヤーなど果たしているのだろうか。否、いるはずも無い。

 先に書いたとおり、翌年にはプレイステーション用ソフトとしても発売されている。主な変更点としては、バトルモードで同キャラ対戦が出来る用になったことと、最大の癌であるあの移動シーンが省かれた点だ。これで少しはクオリティも上がるかと思われたが、なんと移動シーンの合間にあった村人達との会話まで削除されてしまい、ストーリーの流れが理解できなくなくなってしまった。新しい章が始まると同時に雑魚敵に出現されても、こちとらチンプンカンプンだ。なんという融通の利かなさ具合であろうか。

 シナリオも糞ならアニメーションも糞で、システムは最大級の糞。おまけに修正の仕方まで糞。まさに北斗ゲーの中における究極のクソゲーと言わざるを得ない。